2018年5月23日水曜日

人を幸せにしない組織

今の社会でただ一つの組織だけ、他人を幸せにせず、自分だけを幸せにできる。それは政府である。政府は税を強制的に集め収入を得る。建前上、政府は市民に公共財(public goods)を供給するが、その価値が払った税を上回る保証はない。現実には税の方が公共サービスの価値をしばしば上回る。

Quotation of the Day... - Cafe Hayek

2018年5月22日火曜日

政府の嘘は国を滅ぼす

政治とは結果責任を問われる冷徹な行為であり、個人間の道徳を単純にあてはめることはできないという主張をよく目にする。しかしそれは浅はかな考えである。なぜなら政治も詰まるところ人間の営みであり、それゆえ人間普遍の道徳と無縁ではありえないからである。

米政治学者ジョン・ミアシャイマーの著書『なぜリーダーはウソをつくのか』(中公文庫)を読むと、そのことがよくわかる。

個人が嘘をつくことは不道徳な行為とされる。これに対し国際政治に関しては、政治指導者が嘘をつくのは賢いことであり、必要悪であり、状況によってはむしろ望ましいものであると考えられることが多い。

この場合の嘘とは、政治指導者が他国に対してつく嘘だと多くの人が想像することだろう。ところがミアシャイマーは意外な事実を明らかにする。筋金入りのリアリスト(現実主義者)を自認する彼は、最初は一般人と同じく、国際政治では国家間の嘘が日常的に見られるものだと信じていた。ところが調べてみたところ、「国家のリーダーや外交官たちは、思ったほど互いにウソはつかない」ことがわかったという。

その代わり、政治指導者は自国民に対しては嘘をつくことが多いとミアシャイマーは指摘する。たとえば米ブッシュ政権はイラク戦争の際、米国民に対し「イラクは大量破壊兵器を持っている」「サダム・フセインはオサマ・ビン・ラディンと密接な関係を持っている」といった嘘をついていた。

「中国や韓国は嘘を並べて世界に反日思想をまき散らしている」といった報道を読んで中韓けしからんと憤る人は、ミアシャイマーの指摘を噛み締めておくがよい。日本人に対して嘘をつく可能性が一番高いのは外国政府ではなく、日本政府なのである。

これに対し、政府が自国民に対してつく嘘は自国の「国益」のためだから構わないと擁護する向きもあろう。しかし、そこには二つの落とし穴がある。

第一に、嘘は国にとって利益になるのではなく、その反対に害を及ぼす危険もある。イラク戦争に際しブッシュ政権がついた嘘は、米国を泥沼の戦争という大災害に導いた。

第二に、嘘の使用が国内政治に飛び火し、重大なトラブルを起こす恐れがある。たとえば政治家やリーダーたちの行動について真実を知るのが不可能になってしまえば、有権者は彼らに説明責任を追求できなくなる。

中国の軍拡や北朝鮮の核ミサイル開発などについて日本政府は危機感を煽る。しかしそれがミアシャイマーのいう「恐怖の煽動」という嘘でないかどうか、冷静に見極めなければならない。国益を口実とした嘘の横行は道徳を腐敗させ、国を内側から滅ぼす。

(2018年2月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿。この号で連載終了)

大義の代償

2012年に死去した英国の著名な歴史家、エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)は1989年にベルリンの壁が崩壊するまで、共産党員であり続けた。もしもソ連による社会主義の実験が成功していたら1500万〜2000万人といわれる犠牲者は正当化できるかと問われ、「できる」と答えたのは有名である。

There's No Such Thing as Moderate Marxism - Bloomberg


2018年5月21日月曜日

人は誰でも残酷になる

評論家の石平が数年前に刊行した『なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか』(ビジネス社)という本がある。文化大革命や天安門事件、権力闘争、異民族征圧に際して生じた虐殺を暴露し、日本人と比べ人殺しが好きな中国人の真実を明らかにするという。

アマゾンに投稿された読者のレビューはどれも評価が高く、「やっぱり中国人の残虐さは日本人の比ではないようです」「ただ殺す人数が多いというだけではなく、その殺し方も非常に残虐で、特に女性に対するそれは想像するだけで吐き気がします」などと優越感に浸っている。

中国共産党をはじめ、支那人が多くの残虐行為を行ってきたことは事実である。しかしだからといって、日本人が支那人よりも残酷でないとは言えない。それを確かめるには「南京大虐殺」について調べる必要などなく、日本の歴史を少し知っていればよい。

戊辰戦争で明治政府軍は錦の御旗を掲げて会津若松に殺到し、会津戦争となった。だが官軍の所業は、とても正義にかなうとは言いかねるものだった。

星亮一『よみなおし戊辰戦争』(ちくま新書)は郷土史家、宮崎十三八の描写を紹介している。

それによれば、若松城下に襲いかかった薩摩、長州、土佐、肥前の西軍は土佐兵を先頭に城下の各町に殺到し、抵抗する会津兵はもとより、武士、町人百姓、老若男女の別なく、町のなかにいた者は見境なく斬られ、打ち殺され、あるいは砲弾の破片に当たって死んだ。

屋敷のなかは煙が充満し、火の手が迫る。そこにまた砲弾が炸裂した。至るところで阿鼻叫喚、修羅場はたちまちこの世の地獄となった。攻める者は血を見ると、怪鬼のように快感を覚えて、人影を見れば、撃ちまくったという。まるで伝えられる「南京大虐殺」の有様そのものである。

戦後処理も非道だった。明治新政府が「賊軍の死骸には手をつけるな」と厳命したため、千数百の遺体が城下に放置され、野犬や鳥の餌食になった。

それだけではない。会津藩士とその家族は戦後、遠く青森県の下北半島に流され、老人や子供が飢えのためにバタバタと命を落とす。

大正時代に入っても日本政府は会津に冷淡で、鹿児島や山口には旧制高等学校が設置されたが、会津若松には高校はおろか専門学校もできなかった。「これほどの差別があるだろうか」と宮崎は憤る。

人間の残酷性は国籍、民族、宗教を問わない。時と場合により、誰もが残酷になりうる。日本人だけがその本性と無縁でいられるわけがない。他国人の残酷性をあげつらい、自国人のそれに気づかない底の浅い人間観にはあきれるしかない。

(2017年12月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

強制の害悪

もし自由な社会を守りたいなら、ある目的にとって望ましいからといって、強制(coercion)を正当化することはできないと認めなければならない。強制は個人から思考と価値判断を奪い、他人の目的を達成するだけの道具にしてしまう。政府に広範な強制力を与えたら最後、抑制するのは困難だ。

18 Hayek Quotes That Show the Importance of Liberty - Foundation for Economic Education

2018年5月20日日曜日

文化は政治で守れない

保守派の政治家はよく、日本の伝統文化を守れと言う。しかし文化とはつねに海外の異なる文化を吸収して発展していく本質的にグローバルなもので、伝統文化もその例外ではない。

先日の衆院選で、希望の党の小池百合子代表は「伝統や文化や日本の心を守っていく保守の精神」を強調した。日本のこころの中野正志代表は、伝統や文化を後の世代に引き継ぐため、対北朝鮮などで「強い日本」にしようと訴えた。

だが文化を政治や軍事の力で守ることはできない。政治や軍事にできるのはせいぜい国境の守りを固めることだが、文化は国境を越えるし、海外の文化を吸収しなければ豊かな文化はできない。

日本の伝統文化も例外ではない。大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』(新潮選書)によれば、今でこそ日本古来の伝統の町とされる京都は、桓武天皇が都を遷した当時、朝鮮半島や支那から移住してきた渡来人であふれていた。7世紀の畿内の人口のほぼ30%が渡来人だったという。

朝鮮半島と日本の関係は古く、3世紀半ば、百済から多くの技術者や物資が渡来したとされる。さらに5世紀後半、秦の始皇帝の末裔と称する秦氏が嵯峨野・太秦周辺に居住。7世紀後半、百済と高句麗が滅亡すると、とりわけ日本と深い関係にあった百済からの亡命者が大挙して渡ってきた。

天皇の御所である大内裏自体、渡来人の秦河勝の邸宅だったという伝承もあり、広隆寺、伏見稲荷、松尾大社など秦氏の関わる寺社は京都に多い。

桓武天皇はそんな京都に長岡京、平安京を造営・遷都した。この造営・遷都も渡来人と関わりが深く、責任者だった藤原種継、藤原小黒麻呂はそれぞれ秦氏の母や妻を持つ。

桓武天皇が旧都・奈良から離れた渡来人の街、京都に都を遷した最大の理由も、母が百済の王族の末裔である渡来人だったからだ。桓武天皇は渡来人の血へのこだわりが強く、百済系や漢系など渡来人を六人も妻に迎えた。

妻の一人、百済永継はもともと藤原内麻呂の妻として真夏や冬嗣を生んだ後、桓武天皇に女官として仕えるうちに愛されて皇子を生む。歌人の僧正遍昭はその息子だ。冬嗣は藤原道長の先祖に当たる。

小倉百人一首で有名な遍昭、『源氏物語』の作者である紫式部の主人筋で愛人でもあった道長には、大塚が指摘するとおり、ともに百済系の血が流れているわけだ。

もし古代の日本が国境を閉ざし、朝鮮や支那からの渡来人を排除していたら、今の政治家が守れと叫ぶ伝統文化はそもそも生まれていなかっただろう。文化は政治で作ることも守ることもできない。

(2017年11月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

愛される資本主義

マクドナルドは世界で毎日6800万人のお客があり、200万人近い従業員が働く。英国で従業員の平均年齢は20歳で、うち43%は21歳以下。多くの人々が初めて働く職場の一つだ。大きな富をもたらし、若者には次の仕事への足がかり(stepping stones)ともなっている。自由な資本主義が若い起業家を生む。

Millennial entrepreneurs understand the power of profit - CapX

2018年5月19日土曜日

正義は一人で行え

勇ましい保守派知識人は、戦争などで公の義に殉じる者を称え、私利に拘泥する態度を軽蔑する。しかし生身の人間はそのように単純ではない。

幕末の桑名藩といえば、会津藩と並び、新政府軍から特に目の敵とされた藩として知られる。藩主松平定敬は戊辰戦争に身を投じた藩士たちを励ましながら各地を転々とし、苦難を味わう。

しかし森田健司『明治維新という幻想』(洋泉社)によれば、残された桑名藩の人々も同じように苦汁を嘗めた。

藩士たちは当初恭順を拒む。薩長率いる明治新政府の暴力は理不尽だと考えたからである。この考えは間違っていない。

新政府は定敬ら旧幕府の中で主導的立場にあった藩主から官位を剥奪して朝敵の汚名を着せたうえ、領地や財産を没収し、祖先の墓を祭ることさえ禁じた。旧幕臣の榎本武揚が怒りを込めて述べたように、「強藩の私意」に基づく不当な行為である。

屈服を潔しとしない桑名藩士たちは、城に籠もって戦い討ち死にする「守」か、開城して江戸に向かい、定敬と合流して再起する「開」のどちらを選ぶか神籤を引き、「開」に決定する。

ところが評定に参加できなかった下級藩士たちから「猛烈な反対意見」が寄せられる。その背景は、江戸に向かうにせよ、それを拒絶して藩に残るにせよ、藩から手当は一切出ないことだった。

「武士であっても、家族があり、生活がある。手当も出ないのであれば、目ぼしい私財のない下級藩士たち、そして家族は、野垂れ死ぬしかない」と森田は書く。背に腹は代えられず、幼い藩主を立て、新政府に恭順することを決める。

家老の酒井孫八郎は新政府の許しを得るため、箱館で抵抗を続けていた定敬を自ら訪ね、粘り強く説得した結果、降伏させることに成功する。

さてこの桑名藩の決断について、我が身や家族の安泰という私利を優先し、理不尽な暴力への抵抗という大義をかなぐり捨てた道徳的堕落だとは、さすがの勇ましい保守派知識人も言わないだろう。

もちろん自分の判断で公の義を優先し、それに殉じたければすればよいし、現にそうした桑名藩士もいた。箱館で最後まで抵抗し、藩の全責任を背負って切腹させられた森常吉は「なかなかに惜しき命にありながら君のためには何いとふべき」と辞世の句を遺す。

だが一度しかない自分の人生や家族のために命を惜しみ、強者に膝を屈することもまた、間違ってはいない。

正義は一人で自発的に行うものである。桑名藩はそれを理解していたように見える。個人の判断による不参加を許さない戦争は、正義の名に値しない。

(2017年10月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

市場は人を助ける

アダム・スミスが述べたのは、人は非情なまでに利己的(ruthlessly selfish)だとか、利己的でなければならないとかではない。彼は歴史上、人の同情心について最も熱心に語った一人なのだから。スミスは単に、人が家族や自分の面倒を見る性質は、市場ではすべての人のためになると述べたにすぎない。

Quotation of the Day... - Cafe Hayek

2018年5月18日金曜日

「テロとの戦い」の欺瞞

主要国政府は首脳会議(サミット)などの場で毎度のように、「テロとの戦い」に向け結束を訴える。しかしテロの撲滅にはつながりそうにない。政治家や官僚にとって「テロとの戦い」とは、他の大義名分と同じく、権力闘争や利権確保の口実にすぎないからである。

青山弘之『シリア情勢』(岩波新書)によれば、「今世紀最悪の人道危機」と言われ、多数の難民を生み出す中東のシリア内戦は、「内戦」と呼ぶのは必ずしも適切でない。米露をはじめとする諸外国が軍事干渉を繰り返し、シリアの人々に代わって同国の行方を決定する存在となってしまったからだ。干渉の名目として掲げられるのが「テロとの戦い」である。

米国が主導する有志連合は2014年8月から9月にかけて、イスラム過激派「イスラム国」を殲滅するとして、イラク、シリア領内で空爆を開始した。しかし欧米諸国は最初からイスラム国に対し厳しい姿勢で臨んだわけではない。イスラム国は前年からアサド政権に対抗し活発に活動していたが、同政権を退陣に追い込みたい欧米諸国はこれを黙認した。

欧米諸国がイスラム国への対処に本腰を入れたのは、イスラム国がシリアからイラクへと勢力を拡大し、2014年6月に北部の都市モスルを制圧して以降だった。欧米諸国への石油の主要な供給地の一つであるイラクをめぐる経済安全保障が脅かされるに至り、ようやく腰を上げたのである。

米国はイスラム過激派以外の武装集団を「穏健な反体制派」と呼び、イスラム国と戦うよう積極支援した。ところがこの「穏健な反体制派」は、戦う相手であるはずのイスラム過激派と共闘関係にあった。

たとえば、米中央情報局(CIA)はヨルダンやシリア国内での「穏健な反体制派」への軍事教練を極秘で敢行し、ハック旅団、第十三師団、山地の鷹旅団といった組織を支援した。しかしこれらの勢力はイスラム過激派と共闘関係にあった。

「穏健な反体制派」支援は、「テロとの戦い」を根拠として正当化されていた。だが米国が支援した勢力はイスラム過激派と表裏一体の関係をなしていた。米国の政策は「テロとの戦い」のためにテロ組織を支援するという「マッチポンプ」だったと、青山は批判する。

先頃、イスラム国は有志連合が支援するイラク軍にモスルを奪還され、最高指導者バグダディが死亡したと報じられた。しかしもしイスラム国が滅びても、テロの脅威は消えない。むしろ欧米が支援した「穏健な反体制派」から新たな脅威が生まれる恐れがある。かつてCIAがソ連に対抗するためアフガニスタンで育てたムジャヒディン(イスラム聖戦士)が、テロ組織アルカイダになったようにである。

(2017年9月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿) 

代表民主制の幻想

大衆の政治的代表になることは可能か。大衆間の利益は異なり、対立する。全員の代表にはなれないから、たいてい多数に従い少数を裏切る。有権者を代表することは難しいどころか、不可能なのである。代表民主制(epresentative democracy)とは支配する側とされる側の非情な関係を隠すまやかしにすぎない。

In What Way Are Political Representatives Representative? | Mises Wire

2018年5月17日木曜日

政治は道徳に干渉するな

日本を含め、経済大国と言われる国でも、国民が経済の道理を正しく理解しているとは限らない。それはやむを得ない面もある。私益の追求が社会を良くするという経済の道理は、人間の直感に反するからだ。

音楽ライブなどのチケットの高額転売が社会問題になる中、購入済みのチケットを定価で譲れるサイトを、音楽関連4団体が6月1日に開設した。同日の新聞各紙朝刊には意見広告を出し、「チケットは、お金もうけの道具ではありません」と転売業者を批判したという。

自分自身がチケットの販売収入で生計を立てていながら、「お金もうけの道具ではありません」などと宣言するのが滑稽だとは、どうやら思わなかったらしい。

もっとも転売業者が業界団体からだけでなく、一般のファンからも目の敵にされているのは事実である。どうしても行きたい公演のチケットを手に入れたり、行けなくなった公演のチケットを売ったりと、恩恵にあずかったことのあるファンは少なくないにもかかわらず、聞こえるのは非難の声がほとんどだ。

それは経済学者の蔵研也が『18歳から考える経済と社会の見方』(春秋社)で述べるように、マンデヴィルやアダム・スミスが明らかにした「私的な悪徳こそが実は公益につながっている」という逆説が、人間の直感に反するからである。

洋の東西を問わない。キリスト教社会ではかつて利子が禁じられ、イスラム教社会では今も禁止されている。重農主義など初期の経済学では農業だけが真の価値を生み出すと考え、江戸時代には士農工商の序列があった。蔵によれば、これは単に場所を移転して利益を得る商業活動は本質的に非生産的で、卑しく劣った拝金主義的な活動だという直感に基づく。

普通の人には、私益の追求が良い社会を作るという論理は不道徳だと感じられる。だからこうした論理は近代になるまで一般化しなかっただけでなく、学校で経済学を教わったはずの現代人も本心では納得していない。その感情がチケット転売問題などをきっかけにあらわになる。

この素朴な道徳感情を延長すれば、政治家が徳に基づき社会を監督すべきだという考えが導かれる。プラトンの理想とした「哲人王」の世界だ。

しかし具体的にどういった行為に徳があるかは、人の考えによってさまざまである。自由貿易か保護貿易か、大家族の復権か女性の社会進出か、市場競争か格差反対か、等々。答えを無理に一つに決めようとすれば、強い政治権力が必要となり、極端な場合、独裁政治に行き着く。

個人の価値観によって意見の分かれる問題に政治は干渉せず、自由に任せる。この近代の知恵を忘れないようにしたい。

(2017年7月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

政府に天使はいない

公務員も民間人も人間だ。どちらも自分の利益に関心がある。人は政府の仕事に就いたとたん天使にはならない。しかも権力は普通の人間を腐敗させるだけでなく、腐敗した人間を引き寄せる。有権者が誠実に社会全体のためを思っても、その善意(good intentions)が政策として実現するとは限らない。

TGIF: A Public Choice Perspective on Trade | Sheldon Richman

2018年5月16日水曜日

右翼左翼の本性は同じ

右翼と左翼は正反対と世間では信じられている。たしかに表面上、異なる部分は多い。しかし本性は変わらない。一言でいえば、国家主義者である。

安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相はタカ派の右翼政治家として知られる。だが姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』(講談社学術文庫)が記すように、社会主義の強い影響を受けた。

戦前から戦中にかけ経済統制や総動員計画を立案・推進した、いわゆる革新官僚は、岸をはじめ、だいたい第一次世界大戦後から大正末にかけて帝国大学を卒業し、共産主義の全盛期に学生生活を送っている。岸以外では星野直樹、奥村喜和男、迫水久常らである。

これら革新官僚グループに共通するのは、若き日の彼らが「一般的風潮としてのマルクス=レーニン主義的な社会科学の影響」のもとにあったことだと同書は指摘する。

彼ら革新官僚は、マルクス・レーニン主義に由来する「歴史と時代とを社会科学的に分析する素養」を身につけ、世界史的な「全般的危機」に対応する「全機構的把握主義」の思考様式に慣れ親しんでいた。

後年、「反共の闘士」として名を馳せた岸は、マルクス主義や共産主義にいかれることはなかったと何度も断っている。しかし若き岸がかりにマルクス主義そのものに傾倒しなかったとしても、社会主義から強い影響を受けたのは間違いない。ただし社会主義は社会主義でも、北一輝の国家社会主義である。

岸は北の著作『国家改造案原理大綱』を、夜を徹して筆写したという。発禁となるこの著作は、クーデターによって日本を平等な社会にするシナリオが描かれている。私有財産制度を制限する一方、労働省新設で労働者の待遇を改善し、児童の教育権を保全するなどである。天皇大権を認める点を除けば、普通の社会主義と大差ない。

やがて岸は商工省から満州国に渡り、産業開発を推進する。そこで採られたのは、まさしく北一輝が示したような、国家社会主義的な立場に基づく統制経済モデルだった。「満州国経済建設要綱」は四つの眼目の一つとして、「経済統制(重要産業部門の国家的統制)」をあげている。

しかし利潤追求を否定したために、資本家が投資に尻込みし、産業開発は遅々として進まないという事態を招く。

岸の国家社会主義的な志向は戦後も続く。岸内閣では国民皆年金・皆保険など社会保障の基礎を築く。しかし現在、社会保障が財政危機の元凶となっているのは周知の事実である。

国家主義者は経済の道理に無知で、社会のさまざまな問題は政府が描いた設計図どおりに解決できると信じている。その浅はかさは右翼も左翼も変わりない。

(2017年6月、「時事評論石川」に「騎士」名義で寄稿)

WHOは必要か

アフリカでエボラ熱が流行した2014年、世界保健機構(WHO)は対応が遅れる一方、タバコの広告(promotion of tobacco products)を非難。欧米だけでなく、エボラ熱で2500人以上が死亡したギニアのタバコ広告まで問題に。職員の出張費用はマラリア、結核、エイズ、肝炎、精神疾患、薬物乱用の対策費より大きい。

Who Needs the WHO? Not the World’s Poor - Foundation for Economic Education