2017年8月13日日曜日

歴史を押しつける者

戦後七十年を機に、「敗戦国史観」への批判があらためて強まっている。曰く、戦後日本人が教えられてきた左傾的な近現代史は、米国および連合国軍総司令部(GHQ)が方向を定めたものであり、戦争の勝者による歴史の押しつけである。したがってこれを克服し、まっとうな歴史観を取り戻さなければならない、という。しかし歴史を押しつけた勝者は、米国やGHQだけではない。

作家の原田伊織は著書『明治維新という過ち』(改訂増補版、毎日ワンズ)で、この百年以上、日本人が公教育によって教え込まれてきた「明治維新があってこそ日本は近代化への道を歩むことができた」という歴史観は、徳川幕府を倒した官軍、すなわち長州・薩摩という勝者の都合に合わせたものにすぎないと批判する。

たとえば今も学校で教える日本史によれば、嘉永6年(1853年)にペリーの黒船が来航し、その武力威圧に屈して幕府はついに開国したとされる。ところが実際には幕府は天保13年(1842年)に薪水給与令を発し、実質開国している。幕府はペリー来航前から浦賀などで米国と接触してもいた。

劣らず歪曲が甚だしいのは、討幕に功労のあった薩長土肥の下級武士たち、いわゆる「勤皇の志士」の美化である。彼らの実像は「現代流にいえば『暗殺者集団』、つまりテロリストたちである」

とくに悪質だったのは長州の「志士」で、京都において、幕府の役人や、幕府に協力的とみた商人、公家の家臣、学者などを標的に略奪、放火、暗殺を繰り広げた。「彼らのやり口は非常に凄惨で、首と胴体、手首などをバラバラにし、それぞれ別々に公家の屋敷に届けたり、門前に掲げたり、上洛していた一橋慶喜が宿泊する東本願寺の門前に捨てたり、投げ入れたりした」

官軍は会津戊辰戦争の際も暴虐をきわめた。原田によれば、長州の奇兵隊は「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。家族の見ている前で娘を平然と輪姦し、家族が抵抗すると撃ち殺したという。

長州出身で明治時代に初の内閣総理大臣となった伊藤博文は、朝鮮の独立運動家・安重根に暗殺された。現在、日本政府は安重根を「テロリスト」とする立場である。しかしじつは伊藤自身、若い頃は志士という名の「テロリスト」であった。根拠の薄い噂にもとづき、江戸で国学者塙次郎を暗殺している(一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末』)。

力を背景に歪んだ歴史観を押しつける者は、外国政府だけとは限らない。自国政府がまことしやかに語る歴史にも、同等以上の注意が要る。

(2015年9月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年8月6日日曜日

自滅する米国

集団的自衛権や環太平洋経済連携協定(TPP)を通じ、日本政府は米国と政治・経済的つながりをいっそう深めようとしている。まるで米国と組んでさえおけば、未来永劫安泰だと考えているかのようである。危うい態度といわざるをえない。頼りにしている米国自身、今にも滅びの坂を転げ落ちようとしているからである。

原著が米国でベストセラーとなった著書『コールダー・ウォー』(渡辺総樹訳、草思社)で投資戦略家マリン・カツサは、米国の没落がもはや避けられないと説く。鍵となるのは米ドルの価値である。

戦後、米国の覇権を支えてきたのは強いドルであった。ドルは世界中の取引で利用されたから、どの国も準備通貨として欲しがった。米国はドル札を刷るだけで、世界中から何でも欲しいものを手に入れることができた。巨額の軍事費も借金で賄うことができた。

しかしながら無から有を生み出すこの特権は米国を傲慢にし、肝心の経済力を衰えさせた。今では累積財政赤字は対GDP(国内総生産)100%を超え、製造業は衰退し、不況からの回復力も弱くなった。不況から脱しようと政府が金利を無理に押し下げたために、債券市場にバブルをもたらしている。

カツサは警告する。「この傾向が続けばドルは世界の準備通貨の地位を失うことになる。つまりドル資産は売りに出されるのである。そうなればドルの価値は暴落する」。ハイパーインフレの恐れに加え、債券相場の暴落で銀行に経営危機が広がる可能性もあるという。

これまでドルの価値を支えた大きな要因は、石油取引である。1970年代、米政府はサウジアラビアに対し、同国を防衛する見返りに石油販売をすべてドル建てにし、貿易黒字で米国債を購入するよう約束させた。他の産油国も追随し、世界の石油需要の増大とともにドル需要も増えた。

しかしこの構図は揺らいできた。サウジはイスラエルやイランとの関係をめぐり、米オバマ政権の外交に不満を募らせている。国内では反政府運動が収まらず、万が一現政権が倒れれば過激なイスラム教徒が同国を制し、石油でドルを支える仕組みは終焉を迎えるだろうとカツサは述べる。

カツサは米国に対抗するプーチン・ロシア大統領の戦略を詳述する一方で、こう指摘する。「仮にロシアと中国がドルへの挑戦を始めなくても、プーチンが何もせずぼんやりしていたとしても、アメリカは自らのドルの洪水に溺れることになる」

今年6月、ロシアの経済フォーラムにサウジが四年ぶりに参加し話題となるなど、両国は急接近している。世界が距離をおき始めた米国に日本だけが忠義立てしても、良いことはない。

(2015年7月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年7月30日日曜日

長い物に巻かれる国

日本は古来より和をもって貴しとなす美風があるとよくいわれる。しかし和を重んじる気風は、長い物には巻かれろという卑屈な根性と表裏一体である。

評論家の藤原正彦は誇らしげにこう語る。「何しろ日本は聖徳太子の頃から民主国ですから。和をもって貴しとなす。独裁者を嫌い、独裁者がいたことのない、世界でも珍しい国です」(アサヒ芸能1月15日号)

独裁者がいたことのない国は米国、英国、スイス、北欧諸国など主要国だけでも数多いから藤原の主張はデタラメだが、それ以上に、和をもって貴しとなす精神を手放しで称えるのが問題である。和を何よりも貴ぶ心性は、力の強い相手には逆らわないほうがよいという事大主義につながりやすいからだ。

力の強い相手の最たるものは国家である。国家に決して逆らわず従う態度は国家主義である。国家主義は西洋にもある。しかし日本と違い、西洋には国家主義に抵抗する知的伝統が存在する。

そのことを和歌山大学教授の菊谷和宏は『「社会」のない国、日本』(講談社選書メチエ)で、ともに国家による冤罪であるフランスのドレフュス事件と日本の大逆事件を対比しながら論述する。

ドレフュス事件では、軍部が捏造したスパイの証拠によってユダヤ系陸軍大尉ドレフュスが軍法会議で有罪とされる。これに対し作家ゾラはドレフュスを擁護し、一時亡命を強いられながらも、再審の道を開く。

ゾラを衝き動かしたのは、「人間性が国の都合に優先されてはならない」「国家以前に尊重されるべきものがある」という信念だった。

このような信念を生んだものは何か。ゾラの同時代人である社会学者デュルケームによれば、それはキリスト教である。キリスト教が育んだ個人主義精神からみれば、国家という組織はそれがいかに重要であれ、「ひとつの道具に過ぎず、目的のための手段でしかない」。

さて一方、大逆事件では幸徳秋水らが天皇暗殺を企てたとして根拠なく逮捕され、死刑を宣告され、処刑された。

ゾラのように立ち上がり、幸徳らを堂々と擁護する言論人はいなかった。幸徳らを乗せた囚人馬車を偶然目撃した永井荷風が「わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた」と記したのは有名である。

キリスト教の伝統をもつフランスと異なり、日本には「国家以前に尊重されるべきものがある」という思想は根づいていない。菊谷の言葉を借りれば、国家のみがあって社会が存在しない。

長い物に巻かれることをよしとする日本では、国家の暴走に歯止めをかける者がない。それは和を保つという長所を帳消しにしかねない、深刻な短所である。

(2015年6月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年7月23日日曜日

情報機関を信じるな

政府・自民党内で「日本版CIA」新設の機運が高まっている。海外での日本人の誘拐や殺害といった被害を防ぐには、米中央情報局(CIA)のような専門の情報機関が必要との考えかららしい。しかし情報機関が政府の官僚組織であるかぎり、他のお役所仕事と同様、ろくな働きは期待できない。 

先日死去した直木賞作家、船戸与一は海外を舞台とする多くのスパイ小説で、理想化されがちな情報機関の堕落した現実を描いた。昭和54年(1979年)の処女作『非合法員』(小学館文庫)では、元CIA情報員の老いた米国人がこう語る。 

「いいか、組織なんかを絶対に信用するんじゃない!……どんなことがあっても国家や組織なんかを信用しちゃあならん! これほど簡単に人間を裏切るものは他にないんだからな」 

「組織の中でも、とくに情報機関はとことん疑ってかかる必要がある! たいそうな目的を掲げてるくせに、やることなすことと言ったら組織の維持だけだ」 

「CIAと国防総省、それにFBI〔連邦捜査局〕の関係を見てみろ! いつもじぶんの組織の利益ばかり考えて反目しあってる!」 

CIAといえどもしょせんは役所である。画一主義、先例踏襲、独善性、派閥意識、縄張り根性といった官僚組織の弊害から逃れることはできない。老スパイの吐き出すような言葉はその事実を生々しく伝えている。 

これは小説の世界だけの作りごとではない。ニューヨーク・タイムズ記者ティム・ワイナーはノンフィクション『CIA秘録』(文春文庫)で、CIAを蝕む官僚主義を剔抉している。 

設立まもない1950年代、CIA内部にはアルコール依存症や金銭の絡む不正行為がはびこり、大量の人員が辞職した。この時期、長官アレン・ダレスに報告された内部調査で、ある若い職員はこう証言したという。 

「おおむね非効率で非常に金がかかった。……本部や現場の仕事と権威を守るために、控えめに言っても、大げさに立場を主張して、活動の予算と計画の正当性を取り繕うことが本部の任務になっている」 

CIAの官僚主義はその後も改まらない。2003年のイラク戦争では、イラクが大量破壊兵器を90%程度の確実性で保有していると判断する「重大な間違い」を犯す。その後の調査によれば、「意思疎通がひどく欠けていたので、しばしば右手の仲間がやっていることを左手の仲間が知らなかった」。 

鉄道、電力、宅配といった事業で日本政府が劣悪・割高なサービスしか提供できなかったことはすでに証明されている。国民の安全をはるかに大きく左右する情報活動にかぎって政府を信じる気には、とてもならない。 

(2015年5月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年7月16日日曜日

ファシズム再評価の愚

元外交官で評論家の佐藤優が著書『世界史の極意』(NHK出版新書)で、国家が市場経済に積極介入するファシズムを再評価し、日本の政策に取り入れよと提言している。しかしそのような試みはすでに八十年以上前にあり、無残に失敗している。

1920年代にイタリアのムッソリーニが展開したファシズムは、失業、貧困、格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによって解決することを提唱した。ドイツのナチズムはデタラメな人種神話にもとづくものだが、ファシズムは違うと佐藤は擁護する。

日本もこのような「言葉の正しい意味でのファシズム」を取り入れよと佐藤は主張する。そうなれば「経済的には再分配をおこない、健康で文化的な生活、今後の技術発展に対応できる職業教育、家族を持ち子供を育て、次世代の労働者を育成することができる所得を国民に保証する」ことになるとほめそやす。

さて佐藤は書いていないが、すでにムッソリーニの同時代、ファシズムを模倣する試みは世界であった。その一つは大恐慌当時の1930年代米国でフランクリン・ローズヴェルト大統領が行った、ニューディール政策である。

歴史の教科書では、第二次世界大戦において米国は民主主義陣営、イタリアは全体主義陣営に属する不倶戴天の敵とされる。しかし少なくとも経済政策に関しては、両者の本質は同じものだった。

ジャーナリストのジョン・フリンはムッソリーニの政策を分析し、「反資本主義だが、資本主義の特徴を持つ」「経済的な需要の管理」「国家予算の赤字」「計画経済を命令し、コーポラティズム(協調主義)を通じて部分的な経済的自治を調整する」「法の支配の一時停止」といった特徴を抽出した。そしてこれらの特徴はニューディールにも共通すると指摘し、こう断じた。「これはファシズムである」

事実、ローズヴェルト政権の高官にはムッソリーニの心酔者が少なくなかった。ローズヴェルト自身もムッソリーニについてこう語っている。「彼の業績にたいへん関心があり、深く感銘を受けている」

一方、ムッソリーニもローズヴェルトを高く評価した。1933年、ローズヴェルトによって全国産業復興法が成立し、国民経済の大部分で大統領の絶対権力が与えられたことを知ると、こう叫んだという。「独裁者を見よ」

俗説と異なり、ニューディール政策は不況脱出に成功せず、むしろ大恐慌をもたらした。ファシズム模倣の試みは見事に失敗したのである。その事実を知ってか知らずか、今頃ファシズムを再評価してみせる佐藤は、とても「世界史の極意」を会得しているとは思えない。

(2015年4月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年7月9日日曜日

富裕税のまやかし

仏経済学者ピケティの『二十一世紀の資本』がベストセラーとなったのをきっかけに、格差是正のため金持ちへの課税を強化せよとの議論が一部で強まっている。これで金持ち以外の人々が喜ぶとしたら愚かである。金持ちから多く取るふりをして、実際にはそれ以外から搾り取るのが課税の鉄則だからである。

元国税調査官の大村大次郎は『金を取る技術』(光文社新書)で、その鉄則を次のように明かす。税収を上げるためには、金持ちにたくさん課税すればいいと思うかもしれない。しかしそれは違う。税務の世界ではこう言われる。「金持ちから一円取るより、貧乏人から一万円取る方が簡単」

なぜなら、金持ちは税金について非常に詳しい。増税をしようとすると、政治家に働きかけるなどあらゆる手を使って抵抗する。だから金持ちから税金を取ろうとするとかなり大変である。

一方、貧乏人に増税してもほとんど無抵抗である。貧乏人は税金のことはあまり知らない。とくにサラリーマンは会社から源泉徴収され、自分の税金を計算したことのない人がほとんどである。だから「今は国家財政が大変だし、高齢社会に備えて税金が必要」などと言われれば、すぐに鵜呑みにしてしまう。

日本では表向きの税率は金持ちの方が高いが、さまざまな抜け穴があり、実質の税負担は軽い。半面、貧乏人は表向きの税率は低いが、実質の税負担は重い。年収三億円の大手オーナー社長の税負担率は、平均的サラリーマンより低い。オーナー社長は配当所得に対する優遇課税があるうえ、社会保険料の掛け金に上限があり、年収千二百万円以上の人はいくら多くても掛け金は高くならないからである。また、子供二人の夫婦で税金を課される最低所得は、先進国中、日本が一番低い。

政府は少子高齢化に伴う社会保障費の増大で消費増税が必要だと説明するが、それは嘘である。現在の財政赤字は社会保障の増大が原因ではない。バブル崩壊後の巨額で無駄な公共事業によって生じたものである。

それでも国民の間では政府の宣伝を信じ、増税を仕方ないと諦める声が少なくない。「日本人というのは、指導者などにはとても従順な民族です」と大村は慨嘆する。

私は大村に同意するが、金持ちへの課税を強化せよと言いたいのではない。税金の無駄使いをやめない政府は、金持ちにだろうと貧乏人にだろうと、増税を強いる資格はない。

政府は今夏、富裕層の税逃れを防ぐとして出国税を導入するらしい。注意すべきは、富裕税でそれ以外の納税者が楽になると信じないことである。真の狙いは、無知でおとなしい中間層と貧困層なのだから。

(2015年3月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年7月8日土曜日

起業という革命

選挙運動を楽しむのはいい。しかし政治は社会の変化を先取りするのでなく、むしろ遅れがちだ。最初に変化するのは文化であり、政治ではない。政治は受け身だ。もし人々の考えを変え、自由の文化を育成できれば、他の変化はついてくる。

政治の外で変化を起こす方法はたくさんある。ライドシェアはタクシーの地域独占を揺さぶる。民泊は都市計画をぐらつかせる。仮想通貨は国営貨幣や古臭い決済制度に挑戦する。ホームスクールやオンライン教育は政府の教育制度を打ち壊す。

あらゆる起業は、規制と課税で守られた現状に対する革命だ。スタートアップ企業の存在は、人間の創造力が統制で止められないことを証明している。スタートアップ企業は、すべての政治運動を合わせた以上に、自由に大きく貢献するだろう。

Jeffrey A. Tucker, 7 Habits of Highly Effective Libertarians (2015.4.7, fee.org)

2017年7月7日金曜日

さらば官営福祉

政府の福祉政策は効率向上も経費抑制もダメだ。間接経費の比率だけで推定50~70%に達する。官僚や福祉職員の施設や建物に1ドルのうち50~70セントも使い、貧困層に30~50セントしか使わない制度が本当に望ましいだろうか。

小規模な民間慈善団体の実績は、政府よりずっと優れている。シカゴの聖マルティン・デ・ポレス希望の家はホームレス女性の支援に特化する。官立のホームレス施設が1日1人あたり22ドルかかるのに対し、ここの経費は7ドル足らずである。

福祉国家に対する実行可能な代替案にまず注目し、そこから民間地域サービス組織の広範なネットワークを築こう。人々の尊厳を損ねることなく助けることができ、経費もずっと安くて済む。理論を議論するだけでなく、実行するときである。

Sharon Presley, Mutual Aid Is Not Just Historical: Modern Alternative Services (2015.2.19, libertarianism.org)