2015年1月3日土曜日

レーガンの神話

「小さな政府」の例としてメディアできまって持ち出されるのは、1980年代米国のレーガン政権(1981年1月〜1989年1月)である。しかしレーガンが小さな政府を実現したというのは完全なウソだし、実現するつもりがあったかどうかも疑わしい。

米マザー・ジョーンズ誌(電子版)の記事によれば、レーガン共和党政権下で政府債務は3倍近くに増加した。1980年に9,070億ドルだったのが1988年には2兆6,000億ドルになっていた。

レーガンは1988年の退任演説を「政府が制限されないかぎり、人間は自由ではない」と締めくくった。しかしその演説をおこなったのは、政府の規模が長期間にわたり膨張した末のことだった。レーガン政権下で連邦政府職員数はおよそ32万4,000人増加し、約530万人となった。これは冷戦で兵士の数を増やしたからだけではない。増加人数に占める軍関係者の割合は26%にすぎない。

対照的に、クリントン民主党政権(1993年1月〜2001年1月)下で政府職員数は過去数十年で一番少なくなった。「共和党員はレーガンの小さな政府哲学を賞賛する代わりに、クリントンの行動を指針にしたほうがよいかもしれない」とマザー・ジョーンズ誌は皮肉る。

小さな政府を徹底して主張したリバタリアン(自由主義者)、マレー・ロスバード(Murray Rothbard)はレーガン退任直後の1989年3月に発表した記事で、レーガン政権は表向きリバタリアンの美辞麗句を連ねるだけで、政策の中身は国家主義的だったと批判した。ロスバードは書く。「『レーガン革命』などなかった。自由をめざす『革命』ならかならず、政府支出の総額を減らすはずである。それはあくまでも絶対額を意味するのであり、国民総生産に占める割合や物価上昇調整後の値などではない」。レーガンは任期初年の1981年ですら、政府支出を減らさなかった。

レーガンの歴史的役割は、ベトナム戦争やウォーターゲート事件をきっかけとして1970年代米国に噴き出した反政府、準リバタリアンの大きな波を取り込み、骨抜きにし、最後は打ち砕くことにあったとロスバードはみる。だから反政府は雰囲気だけにすぎず、リバタリアンとしての具体的な政策もなかった。むしろ支持層の一つである軍産複合体(military-industrial complex)に巨額の軍事費を注いだ、とロスバードは指摘する。

レーガン政権のおこなった政策が「小さな政府」ではなかったという事実は数字をみれば誰でもわかることであり、以前からその図式は誤りだと折にふれて指摘されてきた。それを反映してか、レーガン政権の経済政策を指すレーガノミクスについて、ウィキペディア(日本語版)の解説に「小さな政府」という言葉は一度も使われていない。

ただし解説の出来は良くない。レーガノミクスは「自由主義経済政策」で「市場原理と民間活力を重視」したといいながら、「社会保障と軍事費の拡大で政府支出を拡大」させたと矛盾したことを平気で書いている。支離滅裂である。

レーガン政権の政策は「大きな政府」であり「国家主義」だった。これはシンプルな事実である。それにもかかわらず、メディアや知識人の多くは、あれは「小さな政府」であり「(新)自由主義」だったと当然のように書く。こんな神話がいつまでもまかり通るようでは、まともな経済論議などできるはずがない。

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