2015年4月25日土曜日

国家は正義を欲する

<工藤会>射殺実行役、事件直後に昇格 組織ぐるみで襲撃か
 敵を殺せば地位が上がる。最高位の者は直接手を汚さない。暴力団と国家はよく似ています。違うのは非合法か合法かということだけ。

酒税法改正で本当に酒屋は守れるのか
 何かと縁が深い税金と戦争。酒税もきっかけは日露戦争だそうです。軍事費調達における増税で、1896年に酒造税法が制定。以前は誰でも酒を造れたのに、1899年に自家醸造は禁止。戦争が日本の酒文化を壊したといえます。

運用難に苦しむ国内生損保、円債から外債へシフト進む
 超低金利で深刻になる金融機関の運用難。外債などリスクの高い運用を増やさざるをえません。政府がバクチを奨励する、それが超低金利政策です。

【官邸ドローン事件】福井の40代男が出頭コントローラー持参「原発政策への抗議」「福島の砂入れた」
 威力業務妨害容疑ということですが、何が「威力」にあたるのでしょうか。ドローンそのものならば紙ヒコーキとどう違うのか。微量な放射性セシウムならば政府自身が安全を保証しているはずです。警戒すべきはドローンではなく、政府による権利の制限です。

彼らなしではもう日本経済は成り立ちません 耐えて儲けよ、ニッポン中国人「爆買い」ツアーボロ儲けの現場報告(上)
 ミルトン・フリードマンが書いています。憎み合っている者同士ですら協力し合える、それが資本主義のすばらしいところだと。文化が違ってウマが合わなくたって、人間は助け合えるのです。

安倍政権のJA改革、金で決着?「100万円が3200万円になる」水面下で反対派を懐柔
 全農株式会社化と上場案が浮上だとか。動機は不純でも、農業近代化のきっかけにはなるでしょう。不効率経営で株価が下がれば、株主となった農家はいやでも効率アップを急ぐでしょう。

ドローン、今国会で法規制 航空法改正、免許制を検討
 ドローンを規制するなら、アフガン、パキスタン、イエメンで多数の市民を殺傷している米軍のものをまず止めるべきでしょう。

ピュリツァー賞記者たちがPR業界に転職していた理由
 ワシントンではこの10年で記者が1,450人から2,760人へとほぼ倍増する一方、大都市以外では計1万2,000人減。連邦政府に密着しないと注目記事を書けなくなっているとすれば、憂慮すべき事態です。

車のトランクに商品を配達--アマゾン、ドイツでサービスを試験的に実施へ
 車のオーナーがアマゾンに追跡を許可し、配送ドライバーは公共の駐車場や会社の駐車場、路上などに荷物を届けることが可能。すばらしいアイデアですが、日本でやろうとすると規制の関門がとんでもないことになりそう。戦後経済の奇跡といわれた日独、なぜこんなに差がついたのでしょうか。

選挙に行きたくなる、美しすぎる統一地方選候補者リスト(色んな意味で) 「統一地方選2015」
 魅力的で聡明そうな方ばかりですね。中央政府の横暴にノーを言える地方議員であってほしい。そして地域政府のためではなく、地域社会に自由と繁栄をもたらすための政策をおこなってほしいと思います。

第一次世界大戦中のフランス軍とワインの微妙な関係
 敵の砲声の響く塹壕で死の恐怖をつかの間忘れるため配給された大量のワイン。それを水筒からあおる兵士たち。そんな時も軍の指導者は政府に書き送ったのです。「西部戦線異状なし」と。

Turkey, Western leaders remember centenary of Gallipoli landings
 トルコ政府関係者と世界の政治指導者が4月24日、第一次世界大戦中の激戦「ガリポリの戦い」の100周年式典を開きました。
 大戦中の1915年4月25日朝、英国など連合軍は当時のオスマントルコ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)を目指して進撃するため、ガリポリ半島への奇襲上陸作戦を決行。9カ月に及んだ戦いでオーストラリア軍兵士約8700人、ニュージーランド軍兵士約2800人が、祖国からはるか離れた地で命を落としました。連合軍側の作戦の大失敗とみられています。
 ガリポリの悲惨な戦いは1981年の映画『ガリポリ』で描かれました。メル・ギブソン演じる若いオーストラリア兵士が、ラストシーンで銃弾に斃れます。なお『ガリポリ』は原題で、日本ではこの戦いになじみがないため、『誓い』というタイトルがつけられています。
 トルコにとってガリポリの戦いは特別な意味があります。この戦いで連合軍を打ち破ったものの、その後オスマン帝国は大戦に敗れ、やがて崩壊。それが現在のトルコ国家の誕生につながったのです。
 ところでこの記念式典はこれまで、連合軍が上陸した4月25日におこなわれていましたが、今回は24日に繰り上げて開かれました。これについてアルメニアのサルキシャン大統領がトルコと名指しを避けつつも、同国政府を批判しています。同日、やはり100年前に起きたオスマントルコ時代の「アルメニア人に対するジェノサイド(集団虐殺)」の犠牲者を追悼する式典がアルメニアの首都エレバンで開かれており、これから世界の注目をそらす意図があるとみたためです。
 トルコ政府は、多くの犠牲者が出たことを認めて哀悼の意を示していますが、特定の民族の根絶を目指したものではないなどとして、「ジェノサイド」とは認定していません。
 さて、100年も前の出来事の意味について政府がひどくこだわる姿は、ひとつの重要な真実を物語っています。それは、政府はむきだしの暴力だけで存立することはできず、かならずそれを正当化するための正義を欲するということです。
 どのように悪辣な政府でも、過去の侵略戦争や虐殺行為について「侵略のどこが悪い」「虐殺の何が悪い」と開き直らないのは、そのようなあからさまに不正義な考えでは現在の国民を自発的に服従させることができないからです。国家が正義を身にまといたがるときほど、私たち国民はその意図に用心したほうがよいでしょう。

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