2015年6月28日日曜日

覇権国は野盗の親玉

「将来は世界一の大泥棒になりたい」と真顔で話す子供がいたら、周囲の大人はたちまち眉をひそめることだろう。ところが、まったく同じ意味のことを大人の言論人が主張しても、世間で顰蹙を買うどころか、しばしば喝采を浴びる。すなわち「日本は覇権国になれ」という主張である。

工学者で名城大学教授の木下栄蔵は『世界経済の覇権を握るのは日本である』(扶桑社新書)で、「ほかに覇権国家になる国がなければ、日本も手を上げる必要があります」と書く。そして、もし覇権国になれば「世界経済を守る責任が発生」するから、「政治力とそれに付随する軍事力」が必要になると主張する。

同じような勇ましい議論はよく耳にするが、まったくの俗論である。木下は、覇権国には「世界を守っていくという気持ち」が必要だと述べるが、かつて覇権国だった英国も、それを引き継いだ米国も、そんな博愛主義に駆られて行動したのではない。それぞれの国の政府関係者が、みずからの利益の獲得と地位の維持強化のため、武力に物を言わせて国外で勢力を広げたにすぎない。

木下もそうだが、半可通の知識人が理解できないのは、政治と経済の区別である。社会学者フランツ・オッペンハイマーによれば、人間が欲しいものを手に入れるには、二つの方法がある。

一つは自分で労動して作り出すか、作ったものを他人と合意のうえで交換する方法で、これを経済的手段と呼ぶ。もう一つは暴力や脅迫を使って他人から無理やり取り上げる方法で、これを政治的手段と呼ぶ。政治的手段を非合法に用いるのが強盗で、合法に用いるのが政府である。

十九世紀の英国、二十世紀の米国が世界一の繁栄を享受したのは、才能ある企業家が勤勉な労働者と協力して価値あるものを作り出し、それを世界の人々が自発的に買ったからである。つまり経済的手段のおかげである。政府が他国を無理やり植民地にしたり、海外に軍事基地を多数配備したりしたからではない。それらは繁栄の原因ではなく、結果にすぎない。

その証拠に、英国はインドをはじめとする植民地経営が財政の重荷となって経済が傾いたし、米国も冷戦や「テロとの戦い」に巨額の軍事費を注ぎ込んだ結果、財政金融危機とドル安に直面している。


国民が豊かであるほど、政府は課税によって財産を多く奪うことができるから、それを軍事力増強に充て、覇権を握ることが可能になる。つまり覇権国とは、それだけ自国民の富を多く掠(かす)め取る阿漕(あこぎ)な国家である。

覇権国待望論は、すでに十分な重税国家である日本政府に、国民をもっと搾り取って野盗の親玉になってくれと懇願するに等しい。傍迷惑な話である。(2013年4月、某ミニコミ誌に寄稿

2015年6月21日日曜日

政府崇拝という宗教

保守主義者を自認する元左翼の評論家・西部邁は、近著『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』(幻戯書房)で左翼を盛んに攻撃する。しかし読むにつれ、西部が今も左翼と同じ穴の狢(むじな)であることがわかる。

典型的に表れているのは、所得再分配と社会保障についての記述だ。西部はまず、米国リベラルの実態について「所得再分配や社会保障といった社会環境を改良する仕事を政府の肝煎で進めようと〔する〕ソフト・ソーシャリスト〔軟らかい社会主義者〕」と批判する。ところが別の箇所では「金持が貧乏人に最低の暮らしができる程度の援助をすればよい〔略〕政府が租税と社会保障の制度を使ってそれをやって社会を安定させる、それが平衡感覚というもの」と、米国左翼と同じく、政府による所得再分配と社会保障を擁護する。

さらにひどいのはここからである。西部は、今の日本で「古き良き価値・規範が破壊されつづけている」と慨嘆してみせる。そしてその責任は、経済のグローバリズムやIT革命をはじめとする技術革新にあると指弾する。悪いのは政府ではなく、民間というわけだ。

だがこれはまったくの誤りである。傍証の一つが西部自身の文章にある。上で引用した所得再分配に関する記述のうち、略した部分で西部はこう書いている。金持ちが貧乏人に直接金品を支援すると、金持ちを「傲慢」にし、貧乏人に「屈辱を味わわせる」かもしれない、と。だから間に政府が入り、金持ちから財産を取り上げ、貧乏人に与えればよいというのだ。

しかしこれは、貧乏人は助けてくれた金持ちに感謝しなくてよいと言っているのと同じである。施しを受けたなら、たとえ内心屈辱を感じようと、謝意を表す。これは代表的な「古き良き価値・規範」の一つであろう。ところが西部は政府を割り込ませ、感謝の習慣を社会から消し去ろうとする。

いや実際には、消し去る以上に悪い。なぜなら、支援を受けた貧乏人は金持ちに感謝する代わりに、金持ちの財産を奪い与えただけの政府に感謝を捧げるからである。本来感謝されるべき個人でなく、他人の金で善人を演じる政府が感謝されるよう、社会を(西部が左翼を非難する言葉を借りれば)「変革」する。これこそ「古き良き価値・規範」の破壊ではないか。もちろん破壊者は民間でなく、政府である。


自由主義者の経済学者ミーゼスは七十年前、政府崇拝を「新たな迷信(new type of superstition)」と呼び、その形態には社会主義と干渉主義があると指摘した。干渉主義とは戦後西側諸国で浸透し、西部が擁護する、再分配や社会保障を柱とする体制である。西部は政府崇拝という宗教の信者である点で、左翼と何も変わらない。
(2013年3月、某ミニコミ誌に寄稿)

2015年6月19日金曜日

小国は侵略に無力か

米軍基地問題などを背景に、沖縄独立論が唱えられることが増えてきた。これに対し、もし沖縄が日本から独立すれば、中国など近隣の大国から侵略されるだけだとみる向きがある。ほんとうにそうだろうか。

防衛にとって重要なのは国の規模ではなく、豊かさだとエコノミストのライアン・マクメイケンは指摘する

豊かな社会は重要で高価な兵器を購入できるし、戦争の素人である一般国民を徴兵で集める代わりに、高度に訓練されたプロの軍隊を維持できる。外国の傭兵を雇うこともできるし、敵対国の要人を賄賂で買収することもできる。

また豊かな社会では、政府が認めるかぎり、国民が個人や小組織レベルで武装することができる。これは政府軍とともに、二段構えの防衛力となる。

世界を見渡せば、大国に近接していながら侵略を受けず、独立を保ってきた小国は少なくない。フランスの隣のモナコ、ドイツの隣のルクセンブルク、イタリアに囲まれたバチカン市国、米国と目と鼻の先のコスタリカなどだ。


大国の政府がとくに道徳的に立派だから侵略をためらったわけではない。侵略は不正で、それに抵抗するのは正しいという国内外の輿論を無視できなかったのである。

物質的な豊かさと、侵略を許さない国民の高い士気と国際輿論の後ろ盾があれば、小国が独立を守ることはけっして無理ではない。

2015年6月18日木曜日

商売なければ慈善なし

商売はよく冷酷非情に描かれる。これに対し、慈善は商売よりも倫理的に優れているとみられている。だがこの見方は正しいだろうか。

慈善が人を助けるのはたしかだが、商売は慈善よりもはるかに大きな貢献をしている、とライターのスティーブ・パターソンはいう

慈善がおこなうのは富の分配である。つまり誰かの余りで誰かの不足を埋め合わせる。一方、商売は人々が高く評価する物やサービスを売ることにより、富を生み出す。


まず商売で富を生み出さなければ、慈善で何も分配することはできない。人間は何もしなければ貧しいのがあたり前だということを、先進国ではすぐ忘れてしまう。

慈善でハンバーガーを配ると、ほめたたえられる。しかしそのハンバーガーは農家、肉屋、トラック運転手、コック、技術者、実業家がいなければ、作ることはできない。商売に携わる彼らは慈善家と同じく、賞賛されるべき人々なのだ。

2015年6月17日水曜日

米輸銀を廃止せよ

米貿易促進権限(TPA、通称ファストトラック)法案にからみ、政府系金融機関である輸出入銀行の存廃が注目されている。6月末に切れる同行の免許を延長するかどうかが議会内で駆け引きの材料となっているためだ。

民主党議員は大半が輸銀の存続を支持し、共和党議員も意見が二分される現状に対し、リバタリアンとして知られる元下院議員のロン・ポールが断固として廃止を訴えている

輸銀の支持者は、輸銀は中小企業のためになっていると主張する。しかしそれは事実に反するとポールはいう。2014年度でみると、輸銀最大の政策融資のうち70%は世界的な建設機械大手キャタピラー向けであり、とても中小企業向けとはいえない。輸銀が航空機大手のボーイングに多額の融資をおこない、「ボーイング銀行」と呼ばれているのも有名だ。


また輸銀の支持者は、輸銀を廃止すれば、同行の支援を受ける企業によって生み出されている雇用や経済成長が失われるという。しかしこれは経済学でいう機会費用の概念を知らない人がよく犯す誤りである。

政府が税で国民のお金を取り上げ、政治判断で特定の企業に低利で貸し出せば、たしかにそれらの企業や関係者は潤う。しかしもしその資金が政府を通さず、自由な市場で消費者の需要にもとづいて配分されていれば、もっと消費者を満足させる商品やサービスが生み出されたはずだ。

「輸銀を廃止すれば米国経済は改善し、多くの国民のためになる。今こそボーイングなど補助金漬け企業への施しを打ち切るときだ」。ポールはこう強調する。

2015年6月16日火曜日

マグナ・カルタの教訓

6月15日は「マグナ・カルタ(大憲章)」の制定から800周年。同文書が署名されたロンドン西郊ラニーミードで記念式典が行われ、英国のエリザベス女王やキャメロン首相、米国のリンチ司法長官ら数千人が参列した。

マグナ・カルタは英国の立憲主義や世界の人権思想の礎とされる文書として有名だ。しかし制定直後に起こったことは、一般にはあまり知られていない。

みずからの権限を制限する文書に署名を強いられたジョン王は傭兵を雇い、署名をさせた貴族たちの虐殺を企てたのである。さらに、ジョン王を支持するローマ教皇インノケンティウス3世によって、マグナ・カルタは廃棄を命じられた


マグナ・カルタを源流とする近代憲法は、政府権力を縛るルールとしてそれなりの意味はある。しかし問題は、政府が警察・軍隊など国内の武力を完全に握っていたら、いつルールを無視して国民の権利を犯してもおかしくないことだ。

政府に憲法を守らせることは大切だ。しかしそれ以上に、政府、とくに中央政府に強大な武力をもたせないよう用心しなければならない。

2015年6月14日日曜日

オルテガの威を借る狐

大衆社会批判で知られるスペインの哲学者オルテガは、保守派の物書きが好んで引用する外国知識人の一人である。ところが最も重要な主張は、だれも読者に伝えない。

たとえば経産官僚で評論家の中野剛志は、自著の題名を、主著『大衆の反逆』にあやかり『官僚の反逆』(幻冬舎新書)とするほどオルテガを持ち上げる。そして「大衆民主社会では……少数のエリートたちは、大衆によってバッシングされる」と官僚叩きの風潮を嘆いてみせる。

中野の読者の多くは、オルテガも当時の「官僚バッシング」の類を批判したと思いこむことだろう。だがオルテガが懸念し批判した大衆の行動とは、テレビの街頭インタビューや新聞への投書で官僚の悪口を言うような、言論の自由の範囲内の、人畜無害なことではない。もっと深刻な脅威、すなわち政府を動かし、他人の自由を奪うことである。

大衆の反逆』(寺田和夫訳)にはこう書かれている。「大衆は、床山政談に法の力を与え、その法の力を行使する権利があると信じている」「大衆的人間は……なにかと口実をもうけては……創造的少数派をすべて、国家を利用してつぶそうとする傾向をますます強めるであろう」


だからオルテガは、政府・国家を擁護するどころか、強く警戒した。第一部最終章を丸々割き、「最大の危険物、それは国家である」(章題)と論じている。中野は「直接行動に訴えることは、自由民主政治の放棄」と書くが、大衆がたとえ集団で暴力を振るったとしても、威力はたかが知れている。しかし国家の力を使えば桁が違う。オルテガは言う。「国家主義は、規範として確立された暴力と直接行動のとりうる最高の形態である」

中野はオルテガをさんざん引用しながら、大衆のほんとうの脅威は、政府を利用することにあるという肝心の主張には一言も触れない。それどころか、たとえば農業政策は「さまざまな利害関係者に対する配慮や多様な意見の上に成立する」と事もなげに認め、「それが政治というもの」と開き直る。

しかしどう見ても、一部の農家や農協幹部、関連団体に天下った元官僚などの「利害関係者」が族議員を通じて政府を動かし、輸入農産物購入などの自由を他の国民から奪うのは、オルテガが恐れた大衆民主主義そのものである。

中野は「自国民の意思以外のものの制約からできるだけ自由に、自分たちの望む国をつくりたいという……自由主義」などと的外れなことを書く。現実には、個人の自由をしばしば侵すのは、遠い外国よりむしろ自国の政府である。オルテガは自由主義を「公権自体を制限する政治的権利の原則」と正しく定義している。威を借るだけの狐とは、まさに月とスッポンである。
(2013年2月、某ミニコミ誌に寄稿)

2015年6月7日日曜日

民主主義の虚構

言論界は衆院選一色である。しかし目にするのは政局談義ばかりで、誰も一番大事なことを言わない。それは、民主主義という一見立派な制度は、まともな根拠などなく、国民の財産や自由を奪う政府の隠れ蓑にすぎないということである。

選挙で有権者が政府を「選択」するという公式教義のいかがわしさは、あちこちに露呈している。2012年11月17日付読売新聞社説(電子版)は、選挙の争点として「脱原発」のほか「日本経済再生のための成長戦略、環太平洋経済連携協定(TPP)参加問題、社会保障、領土・主権問題、安全保障」を列挙し、有権者は「各政党、各候補の政策とその実行能力を厳しく吟味」せよと呼びかける。

しかしそれは無理な相談である。読売が挙げただけでも争点は六項目ある。かりに各争点の選択肢が2つしかないとしても、全部で64通り(2の6乗)の選び方がある。有権者に全選択パターンの受皿を用意するには、これと同数の政党が必要である。むろん争点や選択肢が多くなれば、必要な政党数は文字どおり乗数的に増加する。

本気で有権者の「選択」を尊重するなら、政党は星の数ほど必要だと言わなければ筋が通らない。ところがそんなマスコミは存在しない。それどころか毎日新聞の11月24日付コラム「憂楽帳」などは、政党数について「今度は14。7年前に比べるとほとんど3倍に増殖している」と、たかだか10やそこらで早くも音を上げている。

もちろん現実には、有権者のあらゆる選択パターンに対応する無数の政党が出現することなどありえない。言い換えれば、全争点に関する選択が既存政党の方針と完全に一致する希有な有権者を除き、国民の大半は、満足する政党を選ぶことができない。満足度を多少落としても、選択の単位を政党でなく個々の候補者にしてみても、選びたい政党や候補者がない状況はほとんど変わるまい。

こうくどくど書けば、大方の読者は「当たり前だ。民主主義とはそういうもの」と思うことだろう。けれどもそれは、国会議員が「全国民を代表する」という憲法第43条の想定がまやかしであることを意味する。

これは過激な思いつきではない。元東大総長で過激思想とは縁遠い政治学者の佐々木毅でさえ、民主主義が機能するには議員を代表者と「みなす」ことが不可欠と書く(『民主主義という不思議な仕組み』ちくまプリマー新書)。

平たく言えば、民主主義を正当化する根拠など存在せず、苦し紛れに作り話をこしらえたというわけだ。衆院選の結果、どこが政権を取ろうと、誰が総理になろうと、課税や規制で国民の財産や自由を奪う権利はないのである。
(2012年12月、某ミニコミ誌に寄稿)

2015年6月6日土曜日

穏やかな隷属

今日の民主主義政府はことあるごとに、国民の安全を守ると強調します。小型無人機ドローンの規制しかり、「食の安全」を理由とした食品の輸入制限しかり、軍事力による「安全保障」しかり。国民を露骨に虐げる独裁国家に比べれば、なんとも慈愛あふれる姿勢に見えます。しかしこれはほんとうに喜ばしいことでしょうか。

19世紀フランスの政治思想家、トクヴィルは著書『アメリカのデモクラシー』で、現在の政府の姿を予見していました。「今日の民主的諸国の下に専制がうちたてられることがあるとすれば、それは別の性質をもつだろうと思われる。それはより広がり、より穏やかであろう。そして人々を苦しめることなく堕落させるであろう」(松本礼二訳、岩波文庫、第二巻・下、254〜255頁)。トクヴィルは次のように続けます。
人々の上には一つの巨大な後見的権力が聳(そび)え立ち、それだけが彼らの享楽を保障し、生活の面倒をみる任に当たる。その権力は絶対的で事細かく、几帳面で用意周到、そして穏やかである。……市民に安全を提供し、その必要を先取りして、これを確保し、娯楽を後押しし、主要な業務を管理し、産業を指導し、相続を規制し、遺産を分割する。……したがって今日権力は日ごとに自由意志の行使をますます無効に、いよいよ稀(まれ)にしている。(256〜257頁、下線は引用者)
 トクヴィルはこうつけ加えます。「穏やかで平和的な隷属状態は人の想像以上に自由の外的諸形式のいくつかとうまく結びつくことがあろうし、人民主権の影の下にそれが確立されることさえあり得ないことではない」(258頁)。日本は中国や北朝鮮のような共産主義国家とは違うと思い込んでいるうちに、穏やかな隷属におちいっているかもしれません。


参照記事:Tocqueville on the form of despotism the government would assume in democratic America

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2015年6月5日金曜日

経済予測はあてになるか

経済メディアでは毎日のように、世界各国や地域の経済成長予測が伝えられ、それを専門家がもっともらしく解説してみせます。しかしこの予測、果たしてどれほど意味があるものなのでしょうか。

複雑な数理モデルを使えば経済の将来を予測できるという考えは誤りです。なぜなら経済学の対象である人間は、自然科学の対象である物質と異なり、同じ刺激に対して同じ反応を示すとは限らないからです。

フランスの古典派経済学者ギヨーは経済学における数学の利用に反対で、経済学に数学を導入したワルラスを厳しく批判しました。それにもかかわらず、ギヨーは経済予測をよく的中させました。

このため、優雅な数理経済モデルを考案したワルラスやパレートを高く評価したシュンペーターでさえ、こう認めざるをえませんでした。「もし私が実業家であり政治家であって、たとえば来たるべき六カ月間における雇用とか金属の価格とかの見通しについて教えを受けようとするなら、私はパレートよりもギュヨー――彼は実際の診断における名工であった――と相談したはずである」(『経済分析の歴史』下巻、岩波書店、175頁)


ところが今や経済学は、自然科学の方法を適用しようとする実証主義に支配されています。経済学者は、ともすればモデルの論理的一貫性を気にかけるよりも、過去のデータを予測に役立てるモデルの考案に明け暮れがちです。

しかし方程式からは個人がどのように行動するかについて何もわからないし、したがって経済の仕組みもわかりません。もし優れた経済予測をしたければ、人間行動の基本法則を習得しなければなりません。そうして初めて、数値や経験的事実を正しく解釈できるようになるのです。

参照記事: Don’t Trust the Economic Oracles

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2015年6月3日水曜日

最低賃金法の起源

The Eugenics Plot Behind the Minimum Wage
 最低賃金制度は立場の弱い労働者を守るための仕組みだと信じられています。しかし事実は違います。むしろ能力がないとみなされた労働者を排除するために考案された制度なのです。
 欧米で最低賃金制度が生まれたのは1890年から1920年代にかけてですが、制度導入を推し進めた進歩的な経済学者たちは、経済学の教科書が教えるとおり、最低賃金規制が失業を生み出すことを知っていました。しかし彼らは同時に、それが社会に利益をもたらすと信じていました。能力が劣り、安い賃金でしか働けない人々を労働市場から排除することによって、一国の経済の効率が高まると考えたからです。
 この考えの背景には、当時大流行していた優生思想があります。劣った子孫の誕生を抑え優れた子孫を増やすことにより、社会や民族全体の「健康度」を高めようとする思想です。ナチスドイツがこの思想を信奉していたことは有名ですが、米国の優生学者はドイツと密接なつながりがあり、米国はむしろドイツの優生政策の先駆者だったといわれます。
 優生思想がエセ科学にもとづくものだったとしても、それを信じた経済学者たちは少なくとも、最低賃金法が失業をもたらすことは正しく理解していました。そして「劣等な」黒人労働者を排除するために最低賃金法を導入しました。
 ところが現在最低賃金を支持する人々の多くは、経済の道理を理解せず、最低賃金が弱い労働者を救うと本気で信じています。「地獄への道は善意で舗装されている」とは、まさにこのことです。ジャーナリスト、ジェフリー・タッカーの記事より。


18歳選挙権法案を特別委が可決 4日衆院通過へ
 未成年者の政治参加意識を高める「主権者教育」が大切と船田さん。これまで高齢者が政治力で若者を虐げてきたとして、それと同じことを若者にやれというのは、立派な人間になるための教育とは思えません。まずはフランスのジャーナリスト、バスティアの言葉を教えましょう。「国家とは誰もが他人のカネで生きるために作られた壮大な虚構である」

JTカナダ子会社などに計1.4兆円超の賠償命令、健康めぐる訴訟
 たばこ会社側弁護士のこの言葉がすべてです。「企業は消費者が下した判断の責任を問われるべきではない」

アップル、月額10ドルの新音楽ストリーミングサービスをWWDCで発表か
 価格で勝負に出ない理由の一つは、独禁法に違反するリスクだとか。独禁法とは、他社より値段を下げれば不当廉売、上げれば価格つり上げ、他社と同じならカルテルでつかまるすごい法律なのです。

4月実質賃金は前年比+0.1%、2年ぶりプラス
 2年ぶりプラスということは、アベノミクスが始まってずっと、実質賃金はマイナスだったということ。金融緩和が限界に近づく中で、ここからさらに好転が見込めるのでしょうか。

クックパッド創業者・佐野氏ら気鋭のアントレプレーナーたちが語る『お金って必要?』
 じゃぶじゃぶマネー、起業家にはよけいなお世話。「資金が潤沢にあるという状態は…事業が生まれる環境としては、多分、すごく良くない気がする」

2015年6月2日火曜日

企業は政府の下請け

マイナンバー企業負担は1社平均109万円 年金機構を笑えない負担とリスク増
 給与システムの更新、社会保障関係書類の更新、取扱規定の策定、従業員の家族やマイナンバー把握に始まり、従業員への周知、さらにはセキュリティ面の強化も。漏洩すれば責任問題に。これだけ企業をいじめる国の経済が栄えたらむしろ驚きです。源泉徴収もそうですが、政府は企業を富の源泉ではなく、役所仕事の下請けとしか思っていないのでしょう。


ふくだ峰之議員「グレーならやっちゃえ」その真意とは
 2つの発言をつなげると、日本の役所は日本にとって迷惑ということになります。「単に安かろう、悪かろうのサービスが提供されると日本のイメージが悪くなって迷惑」「役所が、サービスや衛生面を毎日チェックできるか、と言われたら『できないでしょ?』となる」

さらなる軽装「スーパークールビズ」始まる
 クールビズを本気で普及させたいなら、サラリーマンの経費として認めたらどうでしょう。ぜったい無理でしょうけど。
 
昨年度の国の税収 17年ぶり高水準に
 金融緩和の魔術の怖いところは、魔術を使った政府自身が、バブルにすぎない景気を実力だと勘違いしてしまうことです。

安倍首相と日銀総裁が会談、黒田氏「為替の話なかった」
 為替は安定的に推移することが望ましい、と黒田さん。同感です。でも中央銀行がマネーをあふれさせると、そうもいかないのです。

新国立競技場、屋根はそもそもオリンピックに必要なかった
 採算を取るためコンサート用に防音の屋根が必要との発言。それでほんとうに採算が取れればいいですが、どんな試算をしていることやら。

ドローン、夜間の屋外飛行を原則禁止へ国交省が方針
 グレーならやっちゃえという企業家精神は、もはや日本では存在しえないのです。すなわち亡国あるのみ。

2015年6月1日月曜日

カリスマ起業家の実像

Elon Musk's growing empire is fueled by $4.9 billion in government subsidies
 米国のカリスマ起業家として知られるイーロン・マスク氏。しかしその地位は市場での自由競争だけによって築かれたものではないようです。同氏傘下の企業は政府から多額の補助を受けていると米紙が伝えました。
 ロサンゼルスタイムズ紙の調べによると、マスク氏率いる電気自動車のテスラ・モーターズ、太陽光発電のソーラーシティ、宇宙輸送のスペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)は合わせておよそ49億ドルの政府支援を受けているといいます。
 この金額には補助金、税控除、工場建設、低利融資、テスラが売却できる環境クレジットなどが含まれます。政府の補助とはいえない税控除を除いても、多くの政府補助を受けています。
 たとえばニューヨーク州は7億5,000万ドルを費やし、太陽光パネル工場をソーラーシティ社のために建設しています。カリフォルニア州にある同社は工場を年1ドルで賃借するとのこと。
 連邦政府も補助金や税控除により、太陽光装置コストの30%をカバーしてやっています。ソーラーシティ社は財務省から4億9,750万ドルの補助金を直接受けていることを公表しました。
 「マスク氏は政府のカネがある場所を見逃さない。すばらしい戦略だ。しかし政府はいつまでもカネを出すわけではない」。ある株式アナリストはこう警鐘を鳴らしています。


「年寄りは死ねというのか」年金減額は憲法違反――全国の「年金受給者」が提訴
 訴訟を起こした高齢者を叩き、世代間対立をあおる意見が目立ちます。しかし一番責められるべきは持続不可能な制度を設計し、問題があると場当たり的に対応してきた政府にあります。

「賃上げ辞退します」 税が惑わす日本のかたち
 配偶者控除がまるで主婦の特権のように思っている人が多いようですが、それは違います。財産権の保障は憲法上の原則ですから、税控除(非課税)は当然の権利。控除が問題ではなく、所得課税が高いことが問題なのです。働く女性が課税という足かせをはめられているから主婦にも足かせをはめようというのは倒錯した発想です。

ベンチャー優遇を批判する人には「バカヤロウ」と言いたい
 現職首長が縁故資本主義を批判する貴重なインタビュー。「既存企業の人たちは、マーケットを独占するために政治に圧力をかけ、政治運動や選挙運動をする」

国連が決定!「管理職の5割を女性化」の衝撃
 誰を管理職にするかは企業経営者の自由な判断に任せるべきです。実力や適性より性別を優先して管理職を選べば、経営は傾き、女性を含む従業員や株主が不幸になります。

「風俗はソープランドだけや」 中川政務官と不倫ディープキスの門代議士 呆れた言い訳
 ほんとうに怖ろしい政治家は、色と欲にまみれた下劣な人物ではありません。理想に燃えた高潔の士です。フランス革命のロベスピエールのような。