2015-11-14

ランド・ポール『国家を喰らう官僚たち』


議会に権力を取り戻せ?


著者は今回の米大統領選に出馬中の若手上院議員(共和党所属)である。徹底した自由主義者として知られるロン・ポール元下院議員の息子でもある。本書は、米国での政府による個人の権利侵害を詳細に暴き、批判したところが評価できるが、解決の処方箋にやや問題がある。

著者は規制官庁によるさまざまな権利侵害を告発する。そこで述べられた多くの事実はたしかに、許しがたいものである。

たとえばアイダホ州のある夫婦は、家を建てようとした土地が保護対象の湿地に当たると環境保護庁(EPA)から一方的に断定され、家の建築を停止しすでに完成していた部分をすべて撤去したうえに、湿地の環境と適合する樹木と灌木を植えるよう命令された。多額の費用をかけてこれらの作業をした後も、夫婦は自分の土地を使っていいかどうかEPAが決定を下すまで何年も待たされる。もし命令に従わず、拒否した場合は、一日ごとに罰金が科されてその総額が資産価値を上回ってしまうという。

著者は「官僚の形式主義に抵触した罪で投獄されるような国は、誇るべきアメリカではない」と憤り、官僚の責任を糾弾する。もちろん、規制を直接運用する官僚の責任は大きい。だがともすれば官僚批判は、「政治家に任せれば大丈夫」という誤った考えにつながりやすい。案の定、本書はその誤りに陥ってしまっている。

著者は政治家の責任に言及し、次のように書く。「本書はその意味で、議会の権力放棄の物語である。議会は憲法による正当な権力を、暴走する規制官庁の官僚機構に譲り渡し、権力の乱用を許してしまっているからだ」。つまり、政治家、とくに議会の落ち度は権力を放棄したことにあり、官僚から権力を取り戻せば問題は解決するというわけである。

しかし権力を議会の手に取り戻したとしても、問題は解決しない。なぜなら第一に、政治的動機で動く議会は、官僚と同じく、経済合理性に基づいた判断ができないからである。著者は「規制というものは合理的で経済的妥当性がなければならない」というが、そのような規制は議会にも不可能である。

第二に、暴走する官僚から権力を取り戻した議会自身が、暴走しないという保証はどこにもないからである。権力の持ち主を変えるだけでは、問題の本質は変わらない。権力そのものを弱めなければならない。著者が小さな政府を目指すことは評価できるが、「官僚は悪玉、議会は善玉」という単純な構図を強調すれば、その目標は遠のきかねない。議会は政府の一部だからである。

邦訳は、こうした原著の短所に輪をかけてしまっている。原著のタイトルは『政府のいじめ(Government Bullies)』なのに、邦訳はわざわざ「官僚」という言葉を使っている。また、原著では各部の最終章がいずれも「どうすれば問題を解決できるか(How Can We Solve the Problem?)」と題されているが、邦訳では「官僚機構の暴走を止めるには」。これでは日本の読者はますます、「悪いのは官僚」「政治家に任せれば大丈夫」という誤った考えを抱いてしまうだろう。

(アマゾンレビューにも投稿

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