2016年12月31日土曜日

岡田憲治『デモクラシーは、仁義である』


民主主義は仁義を滅ぼす

暴力には二種類ある。政府による公認の暴力と、暴力団などによる非公認の暴力だ。このうち、より怖ろしいのは公認の暴力である。政治的な公認は必ずしも正義を意味しないにもかかわらず、正義の旗印の下に徹底的に実行されるからだ。

著者は、民主主義という「仁義」が廃れると、すべて暴力が解決する裏社会の理不尽なルールに表社会が支配されてしまうと警鐘を鳴らす。しかしこの主張は、すでに民主主義の名の下に巨大な暴力が日常化している事実を見落としている。

暴力団が用心棒代と称して数万円のみかじめ料を取れば、恐喝罪で逮捕される。一方、政府が劣悪な福祉、教育、司法の対価として国民から年収の4割もの税や保険料を取っても、逮捕されない。逮捕されるのは支払いを拒んだ国民の方だ。

著者は、民主主義とは「我々弱く無力な人間たちにとって、本当に最後の砦」と擁護する。しかし一般国民が政府からまだ身ぐるみ剥がされずに済むのは、民主主義のおかげではない。財産権という、政治に先立つ別の原理のおかげである。

著者によれば、仁義とは「規範」「ルール」「道義」である。ところが民主主義は正義の名の下に、他人の財産を奪ってはならないという、人間の最も普遍的な規範の一つを破壊する。著者の主張と逆に、民主主義は仁義を滅ぼすのである。

2016年12月30日金曜日

〔翻訳〕マルクスの神話

Carmen Elena Dorobăț, Mises on the Myth of Marx(ミーゼスが論じるマルクスの神話)より抜粋。

経済学者ミーゼスは、いくつかの著作でマルクスの神話を批判した。マルクスの著作にある矛盾や誤り(inconsistencies and errors)を指摘し、文体を批判した。(以下はミーゼスからの引用)

マルクスの経済学はリカードの〔誤った〕経済学をさらに混乱させたものでしかない。ジェボンズとメンガー(Jevons and Menger)が限界革命で経済学の新たな時代を開いたとき、マルクスの活動期は終わりに近く、『資本論』の第一巻はすでに出版されていた。

〔リカードやマルクスの労働価値説を否定する〕限界理論に対してマルクスが示した唯一の反応は、『資本論』(Das Kapital)の第二巻以降の出版を遅らせることだった。それらは出版当初すでに、近代的な経済科学からかけ離れていた。

マルクスは政治的著作(political writings)でしか、力強く訴える文章を書けない。それも鮮やかな対句や覚えやすい文句、空っぽな中身を隠す言葉遊びの文によってである。

マルクスが説く救済説(doctrine of salvation)は人々の恨みを正当化し、嫉妬と欲望を復讐心に変え、歴史の使命に向かわせる。使命の自覚を促すため、君たちは人類の未来をもたらすと呼びかける。

マルクスは庶民の恨みを科学の装い(nimbus of science)で飾り立て、知的・倫理的水準の高い人々を惹きつけた。あらゆる社会主義運動は、マルクスの救済説を多少なりとも取り入れている。

2016年12月29日木曜日

池上彰『高校生からわかる「資本論」』


マルクスの幻想

マルクスの再評価を叫ぶ論者は、自由な資本主義が労働者を不幸にすると主張する。しかし歴史上、実際に労働者の生活水準を高めたのは資本主義である。論者が労働者のためを思ったつもりで唱える規制強化は、労働者をむしろ苦しめる。

本書の著者も、資本主義が労働者を不幸にするというマルクス主義者の誤った主張を無批判に受け入れ、議論を展開する。派遣切りのニュースに触れ、これは「アメリカの新自由主義」の影響で派遣労働の自由化が推進されたせいだと書く。

しかしこれは誤りだ。2004年に実施された派遣労働の規制緩和は、労働者保護を目的とする国際労働機関(ILO)の方針に基づく。欧州の高い失業率を改善するために、不安定であっても雇用機会を増やすことが必要と考えたのだ。

著者は派遣切りに憤る。だが日本で派遣社員が増えたのは正社員の雇用を守るためだ。著者自身が礼賛する労働者保護規制のせいで不況でも正社員を解雇できないため、派遣社員が調整弁に使われた。著者は規制の負の部分を無視している。

戦後日本の官僚は大学でマルクス経済学を学んだので、資本主義をコントロールしたと著者は称える。戦時中、マルクス主義をひそかに学んだ革新官僚らによって経済体制が設計され、国家総動員法で国民を苦しめたことを知らないようだ。

著者は時事問題についてわかりやすく解説してくれるが、経済の理屈がからむ話になると学生時代に親しんだというマルクスの幻想にとらわれ、いいところがない。残念だ。

2016年12月28日水曜日

〔翻訳〕政府は移民問題を解決できない

Matthew McCaffrey, Entrepreneurship is the Key to Immigration(企業家精神は移民問題のカギ)より抜粋。

市場は価格体系を頼りに、需要の緊急度が高いところから経営資源を配分する。価格体系は刻々と変化するが、それは企業家(entrepreneurs)が生産要素の将来の価格を予想するからだ。労働はそうした生産要素の一つである。

もし企業家が犯罪者の移民を職場に迎え入れたら、犯罪者は法で罰せられ、企業家は市場で罰せられる。労働市場が自由なら、移民の受け入れは個人の平和な交流(peaceful interactions)を通じて決定される。

政府は市場を真似できない。製造するべき靴の数量や品質がわからないように、移民の適切な人数や特質がわからない。リスクを取る企業家がおらず判断を助ける価格体系(price system)がないので、移民について行き当たりばったりの選択しかできない。

企業家は市場でつねに判断の正しさを試される。もし判断を誤り、怠け者や犯罪者の移民を受け入れれば、代償を払う。しかし政府は何の罰も受けない。それどころか国民の恐怖やヒステリー(fear and hysteria)を煽り、より多くの権力を握ることができる。

政府はしばしば労働組合(labor unions)の政治力に左右されるが、労組は強硬な移民反対派である。人為的に押し上げられた組合員の賃金が移民によって脅かされると知っているからだ。政府は労組をなだめるため、適切な移民でも受け入れを拒む。

2016年12月27日火曜日

岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』


等価交換という嘘

経済に関する本に「等価交換」という言葉が出てきたら、気をつけたほうがいい。等価交換とはマルクス経済学の用語であり、マルクス経済学は学問的に間違っているからだ。この語が繰り返される表題作で議論が混乱するのは当然である。

著者は「モノの売り買いとは、原則的にはおたがいに価値の等しいモノと貨幣とのあいだの交換」と述べる。しかし価値が等しいなら、わざわざ交換する意味はない。交換は、双方が互いに、より大きな価値が手に入ると思うから行われる。もし取引したモノと貨幣の価値が等しいなら、コンビニで会計を済ませた商品をその場で返品し、払ったお金を取り戻しても満足できるはずだが、誰もそんなことはしない。

著者はもったいぶって「実は、あくまでも等価交換の原則にもとづきながらも利潤を生み出すことのできる場所が、いわば場所ならぬ場所において存在する」と言う。だが等価交換という前提が間違っているから、結論も正しくはならない。

異なる二つの価値体系の間を媒介し、一方で相対的に安いものを買い、他方で相対的に高いものを売る。著者によれば、これこそ「等価交換のもとで利潤を生み出す唯一の方法」と言う。例として、地理的に離れた二つの共同体を結ぶ遠隔地貿易をあげる。

しかし現実には、同じ町や村の中でも商取引は日常的に行われるし、利潤も生まれる。価値観は集団によって異なるのではなく、個人によって異なるからだ。まったく同じ価値観を持つ個人はこの世に存在しないから、資本主義(市場経済)は必ず機能する。

このエッセイは単行本の出版から三十年以上たった今でも、不思議なほど高く評価されている。おそらくまっとうな経済学を知らない読者が文学趣味に幻惑されるからだろう。罪深いことだ。

他のエッセイ(「遅れてきたマルクス」「知識と経済不均衡」)でのワルラス批判など賛同できる部分はあるものの、等価交換という大きな誤りをカバーできるものではない。

2016年12月26日月曜日

〔翻訳〕不換紙幣という人工物

Frank Shostak, Why Are Dollar Bills Worth Anything?(ドル紙幣に価値がある理由)より抜粋。

自由な市場経済では、銀行が紙幣(paper certificates)を刷りすぎると購買力でみた価値が下がる。保有者は購買力を守るため紙幣を金に換えようとする。全員が同時にそうすれば、銀行は倒産する。だから金の裏付けのない紙幣の発行に歯止めがかかる。

しかし政府はこの歯止めを外すことができる。命令(decree)を出し、紙幣を金に換えなくてもよくするのだ。銀行はぼろ儲けのチャンスが広がり、紙幣をとめどなく刷ろうとする。物価高騰の恐れが強まり、市場経済を破壊しかねなくなる。

政府はこうした市場経済の崩壊を防ぐには、お金の供給量を管理しなければならない。銀行の過剰な紙幣発行に歯止めをかけ、連鎖倒産(bankrupting each other)を防ぐ。このため独占的な銀行(中央銀行)を設立し、紙幣量の拡大を管理する。

中央銀行は自らの権威を示すため、民間銀行の紙幣に代えて独自の紙幣を発行する。中央銀行券に購買力(purchasing power)が生まれるのは、歴史的に金の裏付けのある民間銀行券と固定レートで交換されるからだ。

俗説と異なり、ドル紙幣の価値は商品貨幣(金)との歴史的つながりから生まれた。政府の命令や社会の慣習からではない。現代の不換紙幣(fiat money)は市場経済から生まれたものではないし、生まれることもできない。

2016年12月25日日曜日

池上彰・佐藤優『希望の資本論』


『資本論』という商材

学者や評論家の世界では、明晰な論理で平易に書かれた本よりも、いたずらに難解な書物が重宝される。専門家として解説してみせ、自分の権威を高め、利益を得るのに都合がよいからだ。マルクスの『資本論』はそんな便利な商材の一つである。

本書では『資本論』のあらたかな御利益が熱心に説かれる。佐藤は同書を理解するには一年かかると言い、それには正しい読み方を教える「チューター的な人」が必要と話す。まるでカルチャースクールの売り込みのように商魂たくましい。

続く佐藤の発言は、これはもうカルチャースクールそのものだ。『資本論』の読み方を一回身につければ、「華道や茶道、あるいは外国語能力と一緒で、一生使って運用できる」。池上は「そっちの実用、効用できたか」と調子を合わせる。

さて、そんなありがたい『資本論』で何が学べるか。同書の第一巻と第三巻では、労働量の記述に矛盾がある。凡人なら、矛盾のある本はダメだと考える。しかし佐藤は、これを「視座を少し変えると事柄の本質が見えてくる」と評価する。

視座の違いと矛盾は全然別物のはずだが、佐藤にその認識はないようだ。池上も「論理の勉強になる」と同意する。矛盾の批判は論理の勉強になるが、矛盾をありがたがるのは論理的思考と正反対である。マルクスで論理は学べそうにない。

2016年12月24日土曜日

〔翻訳〕移民問題は市場に委ねよ

Jeff Deist, Market Borders, not Open Borders(移民受け入れは政府でなく、市場が決めよ)より抜粋。

移民問題については、他のあらゆる政治問題と同様、意思決定権を地方に委譲する(localized decision-making)ことが必要である。政治の単位が小さければ小さいほど、自己決定権を個人に委ねるという理想に近づく。

独政府がイスラム諸国からの移民を支援し、ドイツ人に強要している。これは市場の需要(market demand)の結果ではない。政府がお膳立てして、人々を割り振っているにすぎない。しかもその大半は本当の難民ではない。

今の各国政府は国境管理(border control)やテロのような厄介な問題にまともに対処できない。政治的な思惑がはびこり、官僚組織は非効率で、行動の動機も歪んでいるからだ。だから問題が複雑で手に負えなくなる。解決は市場に任せなければならない。

安全保障に市場が存在するように、移民にも市場がある。国境開放(open borders)を支持する人は、市場内部における好みの違いを無視している。突然の移民流入が引き起こした著しい外部性を無視するようにである。

本当の問題は、国境を開放するか規制するかではない。誰が決定するかだ。市場が多く求めれば多数の移民を受け入れ、少なくしか求めなければ少数の移民だけを受け入れる。これが自由主義者の立場(libertarian position)からの答えである。

2016年12月23日金曜日

斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』


「左派は個人主義」のウソ

右翼と左翼は、著者が述べるように、目指す方向が違うだけで、どちらも全体主義に近い。右翼と左翼を水で薄めた右派と左派も本質は同じはずだ。ところが著者は、左派だけは全体主義でなく個人主義に近いと主張する。それはおかしい。

著者が代弁する左派の主張はこうだ。「金持ちからとった税金を低所得者層にまわす再分配政策に力を入れてもらってだな、格差をできるだけ小さくしてさ、貧困対策もしっかりやってもらってさ、高校や大学の学費なんか無料にしてほしい」

この主張の一体どこが個人主義だろうか。全体の利益のために、金持ちという一部の個人を犠牲にする全体主義ではないか。それとも左派にとって、金持ちは個人のうちに入らないのだろうか。だとすればレーニンや北一輝と発想は変わらない。

著者は個人主義を擁護すると言いつつ、個人を守るうえで欠かせない、私有財産権や法の下の平等をないがしろにする。これでは国家権力と戦えない。インフレ税で財産権を侵すアベノミクスを称賛するのは、著者の議論の頼りなさを示す。

国家権力は放っておくと必ず全体主義に近づくから個人主義は大切だ、という著者の認識は正しい。ところが民主主義は個人主義に基づく制度だと著者は書く。民主主義で選ばれた権力は立派な国家権力なのだから、必ず全体主義に近づくはずだ。

個人主義でなく全体主義に近い点で、左派は右派と変わらない。全体主義を防ぐカギは、財産権と法の下の平等にある。それを理解しない限り、政府に対する有効な批判はできないし、個人の生活を守ることもできない。

2016年12月22日木曜日

〔翻訳〕金融健全化への道

Jp Cortez, Stefan Gleason, Six Steps Trump Can Take Toward Better Monetary Policy(トランプが金融政策改善に向け実行できる6つの手順)より抜粋。

健全な貨幣(sound money)への動きがぜひとも必要だ。中央銀行の廃止までいかなくても、トランプ政権が金融政策改善のために踏むことのできるいくつかの手順がある。

(1)連邦準備銀行の監査(Audit the Fed)。政治家と有権者の一致した見方によれば、連銀は政府支援機関が受けるべき最も基本的な監督さえ受けていない。幹部らは米経済を左右する決定ができるにもかかわらずである。

(2)金準備の監査(Audit the Gold)。1950年代を最後にまともな監査はほとんど行われていない。1億4734万オンスとされる金準備がまだフォートノックスの保管庫にあるとしても、リースや担保に流用されている恐れがある。

(3)貴金属課税の廃止。連邦政府のインフレ政策でドル紙幣(Federal Reserve Note)の購買力が下がると、金や銀の名目価値は全般に上昇し、「値上がり益」を生む。この利益は実質上の価値はまったくないのに、課税されてしまう。

(4)連邦準備理事会(FRB)、大統領経済諮問委員会(CEA)、商品先物取引委員会(CFTC)のメンバーに、健全な貨幣の支持者を指名すること。最もインパクトがあるのはFRBの人事だ。グリーンスパン議長に始まり、FRBは過去30年間、低金利と量的緩和で通貨供給を増やし、無責任な市場プレーヤーの救済でモラルハザード(moral hazards)をもたらした。トランプ次期大統領は7人の理事のうち4人を指名できる。

2016年12月21日水曜日

井上達夫・小林よしのり『ザ・議論!』

ザ・議論!  「リベラルVS保守」究極対決
ザ・議論!  「リベラルVS保守」究極対決

国家主義者の無知

右翼と左翼は一見正反対だが、根本は同じだ。どちらも国家主義者である。経済の道理について驚くほど無知であり、社会の問題は国家によって解決できると信じている。右翼と左翼をマイルドにした保守とリベラルも、本質は変わらない。

井上は、多国籍企業は政治的責任を問われない「経済権力」だと批判する。国が民主的に決めた税制や労働・環境規制などでコストが高くなると国外に逃避し、雇用など国内経済に悪影響が出るので、規制したくてもできないからだという。

生活や環境の防護は国家の役割だと井上は信じているようだ。だが大衆の生活水準を高め、技術改良で環境汚染を減らしてきたのは、国家ではなく企業である。規制は改善の妨げになる。井上は移動の自由の行使を、権力の行使と混同してもいる。

井上は、日本共産党は「愛国政党」だから貿易政策は保護主義を主張していると評価し、小林も賛同する。だが保護主義とは国民から輸入品を買う自由を奪って生活水準を下げ、その犠牲で一部の産業関係者を潤すことだ。愛国どころか売国の所業である。

井上は、共産党が尖閣諸島の領土主権を主張する点も愛国的だと評価し、小林も同意する。しかし、もし本気で国民の生活水準を高めたいのなら、そのような「愛国心」は有害だ。戦後日本は多くの領土を失ったが、はるかに豊かになった。

井上と小林は、ナショナリズムとは国家主義ではなく国民主義だと擁護する。しかし上記のように、具体的な主張の中身は結局国家主義である。国民主義というなら、問題解決を国家権力に頼るのでなく、国民の自由な経済活動に委ねてもいいはずだ。

戦争責任に関する井上の議論など有益な部分はあるものの、全体として高くは評価できない。

2016年12月20日火曜日

〔翻訳〕欧州はなぜ繁栄したか

Ralph Raico, The European Miracle(欧州の奇跡)より抜粋。

欧州が経済的に発展したカギは、徹底した分権化(radically decentralized)である。中国、インド、イスラム圏などと対照的に、欧州を構成したのは分断され、互いに競い合う権力だった。

ローマ滅亡後、欧州大陸全域を支配できる帝国はなかった。その代わり、欧州は王国、公国、都市国家、教会領など多数の政体からなるモザイク(mosaic)へと発展した。

この体制の下では、どの君主も財産権(property rights)を侵害できなかった。つねに他の君主と競合関係にあるため、財産没収、押収めいた課税、交易規制などをやれば必ず報いを受けた。資本と資本家が隣国に逃げ、競争相手が繁栄することになる。

君主は国内でも権利の章典(charters of rights)によって縛られ、臣民の希望をかなえるよう強いられた。割合小さな国でも権力は農園、結社、都市、宗教共同体、兵団、大学などに分散し、固有の自由を保障された。欧州の大部分で法の支配が確立された。

欧州の奇跡(European miracle)の基礎となったのは、略奪的な課税を抑制し、政府を競わせて勝手な振る舞いを制限したことである。私有財産をより自由に利用できるようになったことで、技術革新を続け、市場で試すことができた。

2016年12月19日月曜日

高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)
ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

目をそむけた本質

政治の本質は暴力である。民主主義は政治の一形態である。ゆえに民主主義の本質は暴力である。この単純な事実を、民主主義を擁護する論者は認めようとしない。レトリックでごまかそうとする。しかし、それでは正しい議論はできない。

著者は、ウォール街占拠運動のデモは、暴力から「限りなく離れることを目指しているように見える」という。たしかにデモ参加者の暴力沙汰はないかもしれない。だが彼らが求める格差社会の是正は、課税という暴力なしに実現できない。

著者は、真摯な討議を重視する「熟議民主主義」の考えに共感する。真摯な討議は良い。しかし時間には限りがあるし、民主主義の原則が多数決である以上、結局は多数の意見が少数に強制される。この問題から著者は目をそむけている。

民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、意見を聞いてくれた多数派に「ありがとう」といえるシステムだと著者はいう。しかし意見を聞いてくれたことに対する感謝と、承服できない決定を強制される理不尽や怒りとは別問題だろう。

著者は、民主主義とは「たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒にやっていくためのシステム」とも述べる。だがその理想は、民主主義であれ何であれ、政治では実現できない。真の答えは政治の外にある。

2016年12月18日日曜日

〔翻訳〕医療費高騰は政府の失敗

Dale Steinreich, Has "Market Failure" Caused High Health-Care Prices?(「市場の失敗」で医療費は高騰したのか)より抜粋。

「医療の購入優先順位(purchase priority)は食料、住居に次いで高いから医療費は高くなる」という説に根拠はない。衣服や交通手段がなければ病院に行けないから、それらの優先順位は医療より高い。それでも衣服や交通手段の値段は医療ほど高くならない。

医療業界には市場の作用(market processes)がない。新製品が出ても市場競争にさらされないので、新薬や新型機器は途方もなく高い値段で売られ、保険会社は値切りもせず支払う。当然、コストは高騰する。

問題の根本は政府に保護された大手製薬会社(Big Pharma)と、政府が強制する医療保険だ。医療の官製「市場」には規制のため競争がほとんどないので、もっと自由な市場のある産業と違い、技術が進歩しても値段が下がらない。

医療産業は規制強化の結果、民間企業としては事実上存在しない。医師会(American Medical Association)のように、特別な利害関係の上に成り立っている。

医療政策立案やコンサルタントなどの周辺産業も同様だ。誰も読まない長い論文を発行し、高級ホテルやリゾート地で延々とシンポジウムを開き、増加する問題への「解決法」(solutions)を書いて高額の報酬を得る。問題の原因は官民癒着自体なのに。

2016年12月17日土曜日

猪木武徳『自由の思想史』


社会に統治は必要か

国家と社会は違う。国家は強制で成り立つが、社会は自発的な協力に基づく。民主主義は国家の一形態で、市場経済は自発的交換だから、両者は異質だ。だから副題で「市場とデモクラシー」を一緒くたにする本書には奇妙な記述が目立つ。

著者はトマス・アクィナスに基づき、人間が生まれつき社会的な群生動物だとすれば、その集団を舵取る「統治」は不可欠だと述べる。これは国家と社会を混同した議論だ。国家には強制による統治が必要でも、自発的な社会にはいらない。

おかしなことに、著者は別の箇所ではハイエクを踏まえ、社会が自発的な交換だけで成り立つことを強調している。「経済社会では、市場での売買(交換)が、利害対立や抗争(盗みや略奪)を非人格的な力で調整する共同体を成立させる」

また著者はケインズを引き、株価は「多数の無知な個人の群集心理の結果となる世間的評価」だから、必ずしも実質的な投資価値と一致しないと書く。しかしこれも、著者が肯定的に紹介する、ハイエクの市場価格に関する見解と矛盾する。

ハイエクによれば、市場経済で、個人は経済に影響を及ぼすさまざまな事象に無知でもさしつかえない。それらはすべて市場価格に集約・反映されるからだ。政府が金利株価自体を歪めない限り、株価は実質価値から極端に離れはしない。だから民主主義の下で選ばれる政治家と政策が人々の考える価値と必ずしも一致しないことを、株式市場の譬喩で論じる著者の議論は正しくない。

本書には個別に興味深いエピソードはあるものの、それら相互の関係を掘り下げないまま終わる。このような総花主義は、著者自身が強調する「真理に近づく」態度にふさわしくない。

2016年12月16日金曜日

〔翻訳〕CIAという無能な役所

Ryan McMaken, The CIA Has Always Been Incompetent(CIAは昔から無能)より抜粋。

「ロシアは米大統領選を操作していた」と結論づけたCIAを、トランプは「フセインが大量破壊兵器を持っていると言ったのと同じ連中さ」と一笑に付した。ワシントン・ポスト紙(Washington Post)ですら、推論に頼って事実を重視していないと認める。

CIAは典型的な役所(government agencies)でしかない。多くの時間を議会対策に費やし、一番の動機といえば自分たちの計画・予算を守ることと権限拡大だ。公共選択論が教えるとおり、この行動は利己的な官僚集団そのものである。

「自由な市場」の味方を自称し、制限された政府(limited government)を求めると言ったそばから、CIAのやることを何でも擁護する無邪気な人たちがいる。「安全を守ってくれるから」だそうだ。

CIAはソ連(Soviet Union)崩壊の直前まで、同国の経済力は強大で、米国を圧倒しそうだと主張していた。冷戦中、CIAの最大の存在理由はソ連情報の収集・分析だったにもかかわらず、それに見事に失敗したのだから、廃止されても当然だったろう。

CIAによれば、最近ロシアの脅威がまたぞろ迫っているという。しかし実際に証拠を見せることができるのだろうか。「とにかく信じろ」(Just trust us)という言葉しかないように思える。

2016年12月15日木曜日

副島隆彦『ユーロ恐慌』


「デフレは不況」の勘違い

インフレとは本来、通貨量が膨張することで、今では物価全般が上昇する現象を指す。デフレとは逆に通貨量が収縮することで、今では物価全般が下落する現象を指す。インフレに好況という意味はないし、デフレに不況という意味もない。

「インフレは好況(好景気)」「デフレは不況(不景気)」と誤解している人は少なくない。それが一般の人ならやむをえない。だが経済の専門家を名乗る人物となると、洒落にならない。本書の著者は以前からその誤りを繰り返している。

本書でもそうだ。第三章にこんな記述がある。「デフレ経済(大不況)というのは実に恐ろしいものだ」。デフレ経済をカッコで大不況と説明している。デフレと不況の混同である。同じ章に「インフレ(成長経済)」という表現もある。

もしかすると著者は、「デフレのときには不況になりやすい」「インフレのときには好況になりやすい」と言いたいのだろうか。そうだとしても、やはり誤りだ。アトキンソンらの実証研究によれば、デフレと不況の関連性はまったくない

日銀のマイナス金利や量的緩和に対する著者の批判は正しい。しかしデフレは悪という迷信を信じる点で、政府・日銀と変わらない。だから公共事業という別の介入を推奨する国家主義者ケインズを「偉大なるケインズ」などと持ち上げる。

2016年12月14日水曜日

〔翻訳〕政府は思考の反面教師

Jeffrey Tucker, 5 Ways To Think Like a State(政府のような5つの思考法)より抜粋。

どの政府機関にもみられる誤った思考法(way of thinking)の特徴は何だろうか。どうすれば政府のように考えられるか、探ってみよう。

(1)知るべきことは何でも承知していると思い込む。社会は決まった仕組みで動き、予定どおりの結果になると考える。物事にはつながりがあることを知らず、歴史は展開次第で予想外の結果(unexpected results)に至ることを知らない。

(2)勝利に導くのは強制だと思い込む。国家主義思考の特徴で、一番露骨なのは戦時だ。反乱軍には「衝撃と畏怖」(shock and awe)で対抗しろ。ダメなら戦車だ、大砲だ、情宣だ、増派だ。手荒なほど抑止力になると信じているらしい。

(3)意見が違う者は必ず裏切り者や反逆者になると思い込む。政府の考えでは、良い市民には二種類しかない。奴隷(serf)かおべっか使い(sycophant)だ。それ以外は反逆者として監視されるか、売国奴として滅ぼされなければならない。

(4)思想より物質の世界が重要だと思い込む。政府の特徴は、物的財産に対する支配である。物を愛するあまり、壮大でいかめしい官庁を建て、巨大な記念碑(monuments)を造る。しかし結局、人の心は支配できない。

(5)許可なしに計画変更を認めない。政府は社会秩序(social order)の最終形を知っており、それは強制によって達成でき、想定外の事態はありえない。だとすれば、予定外の変化が起こらないようにするのが一番ということになる。

2016年12月13日火曜日

橋本卓典『捨てられる銀行』

捨てられる銀行 (講談社現代新書)
捨てられる銀行 (講談社現代新書)

金融庁を捨てよう

自由な市場では、企業は顧客を満足させるよう努める。さもなければ顧客から見放され、淘汰されるからだ。しかし政府が経済に介入すると、顧客より政府の顔色をうかがって仕事をするようになる。その場合、企業を責めるのは的外れだ。

著者は、ほとんどの地方銀行が顧客本意の経営をしておらず、このままでは見捨てられるだろうと批判する。しかし著者自身の記述を読むだけで、銀行の経営姿勢をゆがめたのは、金融庁をはじめとする政府の介入政策であることがわかる。

特に問題な政策は二つある。一つは金融検査マニュアル。無担保の短期継続融資(短コロ)はかつてごく一般的な貸し出しの手法だったが、正常運転資金を超えれば不良債権とマニュアルでみなされたため、銀行は震え上がって正常範囲内でも担保付き長期融資に変更。取引先の業況に無関心になった。

もう一つは信用保証制度。中小企業が倒産などで銀行からの借金を返済できない場合、信用保証協会が100%肩代わりする。小渕、麻生政権下で拡大。銀行は貸し倒れのリスクから解放される代わりに、企業の事業価値を見る力を失った。

著者は金融庁を変えようとする森信親長官に期待する。しかし森長官の方針は安倍政権が唱える「地方創生」に沿ったもので、経済の道理より政治の都合を優先する過ちを繰り返している。見捨てられるべきなのは銀行ではなく、金融庁だ。

2016年12月12日月曜日

〔翻訳〕ロボットがもたらす福音

Thomas E. Woods, Jr., The Good News They're Not Telling You(語られない福音)より抜粋。

昔、多くの人は農民だったが、仕事の99%は機械が取って代わった。人間は以前なら想像もしなかった新しい仕事(brand new jobs)を始めた。それによって私たちはより人間らしくなったといえる。機械にできない多様なことをやれるようになったからだ。

人間は半導体(computer chips)を作れないし、CATスキャンのように人体を1平方ミリメートルごとに検査してがん細胞を見つけることもできない。人間には物理的に無理で、ロボットにしかできない仕事はたくさんある。

効率が求められる仕事はロボットに任せよう。人間は効率や生産性一辺倒でない仕事をやろう。人間関係(relationships)、創造性、触れ合い、人間らしい仕事に専念しよう。 

機械化による大幅な効率向上で、社会はすばらしく豊かになった。競争によって物価が下がり、購買力が高まる。収入は名目で減っても、前より多くの物が買える。これは産業革命(Industrial Revolution)以降、人間が豊かになってきた道筋だ。

物質的な解放は人間を精神的にも解放し、以前より充実した人生(fulfilling lives)を可能にした。「カネで幸せは買えない」などという決まり文句は御免だ。これで幸せになれないなら、満足できるものは何もないだろう。

2016年12月11日日曜日

池上彰・佐藤優『新・リーダー論』

新・リーダー論大格差時代のインテリジェンス (文春新書)
新・リーダー論大格差時代のインテリジェンス (文春新書)

法の支配を知らないか

日本国憲法第84条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と定める。租税法律主義だ。税金に関する論議がかまびすしい中、この条文はほとんど見向きもされない。

本書の議論はその典型だ。対談者の頭には、行政の恣意的な課税から国民を守ろうという意識のかけらもない。パナマ文書で明らかになったある節税について、池上は「『合法的』に納税額を減らす仕組み」と「合法的」にカッコを付ける。

カッコ付きの「合法的」は言外に、「合法な形式をとりつくろっているが実質違法」という意味を匂わせる。この論法は租税法律主義を有名無実にする。法律で定めた課税要件に当たらなくても財産が保護されないなら、定める意味がない。

佐藤も負けていない。「国家の庇護を受けているエリートが、正当に税金を払わないのは、本来、許されるべきではありません」とのたまう。脱税ならともかく、合法な節税が許されない根拠は、一体何なのか。少なくとも法ではあるまい。

リーダーに法の支配は欠かせない知識のはずだけれども、本書では学べそうにない。佐藤は反ユダヤ主義の台頭を懸念してみせるが、かつてその根底に裕福なユダヤ人への嫉妬や憎悪、法の支配の無視があったことを知らないはずはなかろう。

2016年12月10日土曜日

〔翻訳〕労働法は既得権の味方

Ferghane Azihari, Will Europe's Labor Laws Kill the Gig Economy?(欧州の労働法でギグエコノミーは滅びるか)より抜粋。

米ウーバーは英国で初の訴訟に敗れ、運転手との法的関係の性質を見直すよう命じられた。運転手らは独立した請負業者(independent contractors)ではなく、労働者としての権利を主張していた。

西欧諸国の法理論によれば、労働者と請負業者の違いは、労働者が雇用主と服従関係(relationship of subordination)にある点という。雇用主は従業員に対し支配・制裁権があるとされ、そのため雇用主の権力から従業員を守る特別なルールが正当化される。

現実には従業員(employees)と請負業者の区別は恣意的だ。これは労働法が首尾一貫していないことを示す。もし首尾一貫させるなら、労働法はどんな仕事にも適用されなければならない。取引費用の高騰で分業の効率が落ち、社会は貧しくなるだろう。

労働法は特別な保護(special protections)を一部の労働者だけに認め、他の労働者には認めない。これは法の下の平等の原則に反する。自由な労働を妨げられないことこそ、独立請負の利点だ。契約の自由が広がり、より柔軟な働き方ができる。

左翼政党は、独立請負は労働法をかいくぐる「不当安売り制度」(social dumping mechanism)とみる。これは偽善だ。独立請負は、既得権を守る有害な労働法を駆逐する。一部の労働者が楽に暮らせるのは、幸運にも「社員」という保護された地位を手に入れたからだ。

2016年12月9日金曜日

司馬遼太郎『大坂侍』


武士の偽善と愚かしさ

武士のなりわいは人殺しだが、歴史小説ではたいてい英雄になる。本書の著者による『国盗り物語』『関ヶ原』などがそうである。しかしここに収められた初期諸短編は、大坂商人らとの対比で、武士の偽善や愚かしさを突き放して描く。

剣客と談合屋の二足のわらじを履く佐平次は、仇討とは武士の商売だと言い放つ。仇を討てば士官できるといった利益が動機だからだ。商人の与七も言う。「武士が仇を討てば儲かるが、町人の仇討は、ただの人殺し」(「難波村の仇討」)

泥棒の佐渡八は農民出身の新選組局長、近藤勇に向かい、武士をまねて人殺しをすることなどやめ、泥棒になれと説く。近藤が「武士が泥棒になれるか」と憤ると、「こいつ、人殺しのほうが、一格上と思うてくさる」(「盗賊と間者」)。

川同心の鳥居又七は、武士は取引をする商人ではなく、「喧嘩をするもの」だと自分に言い聞かせる。だが上野戦争で官軍に惨敗し、逃げながら、悪夢から醒めたように思う。「武士なんざ、所詮は逃げる商売かも知れねえ」(「大坂侍」)

大和出身の中間、団平にいわせれば、忠義とは「三河から東の田舎者が江戸へ持ちこんだ祭文」にすぎない。上方には別の道徳がある。それは「男女のまこと」だ(「和州長者」)。建前に縛られた忠義などより、はるかに人間的といえる。

2016年12月8日木曜日

〔翻訳〕キューバ医療の現実

John R. Graham, Castro’s Death and Cuban Health Care(カストロの死とキューバの医療)より抜粋。

ウィキリークスが公表した米情報機関の通信によれば、キューバでは多くの若いガン患者が手術後、C型肝炎(Hepatitis C)に感染している。事前の血液検査が不適切だったためとみられる。患者は感染が及ぼす深刻な影響について十分知らされていない。

入院患者は部屋に灯りがほしければ、自分で電球(light bulbs)を用意しなければならない。シーツ、タオル、石鹸、栄養補助食品も自前だ。病院食は毎日、米、魚、卵、ジャガイモばかりで、新鮮な果物や野菜、肉は出ない。

検査機器はひどく原始的である。簡単な全血球計算(complete blood count)は検査技師が手作業で行う。顕微鏡をのぞき、白血球、リンパ球、単球などを数えるのだ。 

マイケル・ムーア監督が映画「シッコ」で称えた1982年設立の大病院は、患者の多くが国際共同事業「オペラシオン・ミラグロ(奇跡の手術)」(Operation Milagro)で無償手術を受けるベネズエラなどの外国人である。最上層は最も近代的で、医療観光客や外交官が予約し、外貨で支払う。

普通のキューバ人患者(Ordinary Cuban patients)はこの病院に入れない。同病院は医療観光客を呼び込もうと、英語のウェブサイトでサービスを売り込んでいる。

2016年12月7日水曜日

中野京子『印象派で「近代」を読む』


芸術と企業家精神

技術革新はしばしば社会に軋轢をもたらす。上は政治エリートから下は古い産業の労働者まで、既得権益を脅かされる人々が反発・抵抗するからだ。しかし政治力で技術の進歩を妨げれば、社会は停滞し、物質的にも精神的にも貧しくなる。

本書によれば、印象派絵画に決定的な影響を与えた発明品がある。チューブ入りの既製絵具だ。19世紀になるまで、画家は使うだけの分量の絵具を工房内でそのつど調合して作らなければならず、戸外に出て絵を描くことはできなかった。

携帯しやすい既製絵具の発明によって、画家は外へ飛び出せるようになった。ここで著者は興味深い事実を明かす。既製絵具の販売を始めたのは、「画家になれなかった人たち、あるいは画家として生活してゆけない人たち」だったという。

1700年代の終わり頃、創作を断念した元画家や画家志望者は、自分たちであらかじめ練って作った、さまざまな色の絵具を売り出す。これは今でいう「起業」だと著者は述べる。その後、金属製チューブやネジ式キャップも発明された。

写真技術も絵画に大きな影響を及ぼした。肖像画家への打撃は深刻で、新古典派の大家アングルは政府に写真禁止を求めたという。だが一方で画家たちは写真を参考に斬新な表現を切り拓いた。写真を禁止すればこの進歩はなかっただろう。

写真の登場という衝撃をきっかけに、印象派もそのライバルであるアカデミー派も真剣に道を模索し、それがかえって絵画の質を高めたと著者は指摘する。技術革新による変化を恐れず、むしろ飛躍のばねにする企業家精神が社会を豊かにする。それは芸術の世界でも変わらない。

2016年12月6日火曜日

〔翻訳〕GDPのおかしな論理

Per Bylund, The Faulty Logic of GDP Necessitates an Economic Paradigm Shift(GDPの論理は誤り、経済学のパラダイムシフトが必要)より抜粋。

国内総生産(GDP)の誤りは、生産とは消費者価値(consumer value)を正味で増やすにすぎないと想定していることだ。ある企業が製品を作ることによって加える価値は、製品の金額とコストの差だけだと思われている。

GDPのもう一つの誤りは、企業間取引(B2B)よりも企業対消費者間取引(B2C)を過大評価することだ。企業間取引は投資の規模やビジネスチャンス(opportunity)が大きいにもかかわらずである。

GDPはイノベーション(技術革新)の価値を事後的にしか正しく測ることができない。投資は成功しない限り、損失(loss)とみなされる。だから将来の生産に向けて投資する国は衰退しているようにみえる。

GDPは生産性を改善する試みを事実上すべて無視する。消費を増やさないからだ。またGDPの想定によれば、消費が生産を左右する。これは誤りだ。現実には、企業家(entrepreneurs)は消費者が何を買いたがるか考え、それを作る。

GDPは経済を誤って理解し、政府統計でわかるものだけを勘定する。純消費、純利益、純なんとか、純かんとか……。誤った論理がまかり通って80年近くになる。そろそろ経済学のパラダイムシフト(paradigm shift)の時期だ。

2016年12月5日月曜日

セイラー『行動経済学の逆襲』

行動経済学の逆襲 (早川書房)
行動経済学の逆襲 (早川書房)

自由を奪う「自由主義」

昔の経済学者は政府に対峙し、財産権の侵害や経済的自由の束縛を批判したものだった。しかし今の経済学者は進んで政府に協力し、個人の自由を奪おうとする。これは主流派だけでなく、「異端」とされる経済学者の大半にもあてはまる。

著者セイラーもその一人だ。彼は自分の立場を「リバタリアン・パターナリズム」と呼ぶ。直訳すれば、自由主義的な温情主義。自分が専門とする行動経済学の知見を生かせば、人々に強制することなく、よい意思決定を助けられるという。

英国の徴税当局が税滞納者から未納金を徴収しようと、助言を求めてきた。コストはかけたくない。そこでセイラーらは実地実験で、督促状に「ごく少数の方が税金を期限内に支払っておられず、あなたはその1人です」などの文を加えた。

人々をあるルールに従わせたいなら、他のほとんどの人はそうしていると告げることが有効だからという。実際、23日間で最大900万ポンド(約13億円)の税収をもたらした。セイラーは「とてもコスト効果の高い戦略」と自賛する。

しかしセイラーは忘れている。督促状は納税を強制しなくても、結局のところ納税は強制だから人は支払うのだ。しかも巧みな脅し文句によって、より多くの財産を召し上げられる。納税者にとって「よい意思決定」と呼ぶのは無理がある。

他に例示される駐車違反にしろ臓器提供にしろ、セイラーはつねに政府の仕事を手伝うという態度で助言し、そもそも政府にその仕事を任せるべきかどうかについてほとんど疑いを投げかけない。

もしこれが行動経済学の本質なら、政府に重宝されるのも当然だ。主流派だけでなく、異端までが喜々として権力の侍女を務める現代経済学の病は膏肓に入ったといわなければならない。

2016年12月4日日曜日

〔翻訳〕最低賃金上げの犠牲者たち

Mark J. Perry, Faces of the $15 Minimum Wage Victims(最低賃金15ドルの犠牲者たちの顔)より抜粋。

最低賃金時給15ドルを求める労働運動「Fight for 15」に関する議論で経済の現実(economic reality)を知ってもらおうと、シンクタンクEPIは新たに4本のミニ・ドキュメンタリーを公開した。最低賃金の劇的な上昇の犠牲者を描いている。

カリフォルニア州サクラメント(Sacramento)の書店は、同州が予定する時給15ドルへの最低賃金引き上げによるコスト増加を吸収できず、閉店せざるをえなくなった。

同じくカリフォルニア州サンフェルナンド(San Fernando)の衣料品メーカーは、最低賃金引き上げ計画を受け、同州を去り、ネバダ州に引っ越す。

ニューヨーク市ブルックリン(Brooklyn)のレストランも、閉店せざるをえなくなった。最低賃金引き上げでコストが増えるが、メニューを値上げしてお客に転嫁することができない。お客はブルーカラー労働者だ。

カリフォルニア州オークランド(Oakland)の託児所はやむなく、従業員を減らし、勤務時間を短くした。無料の送迎サービスも縮小した。最低賃金の引き上げに伴いコストが増えたからだ。

2016年12月3日土曜日

藤巻健史『国家は破綻する』


ハイパーインフレより怖いもの

ハイパーインフレは経済事象の中で最悪のものの一つとされる。たしかに悪夢のような事態だが、誰もが異常だとわかる。ところが年数%の「穏やかな」インフレは、お金の価値が奪われる点は同じなのに、気づかれにくい。むしろ悪質だ。

日本の財政については「純債務は大きくないから大丈夫」「換金可能な金融資産の割合が大きい」という楽観論がある。これに対し著者は、金融資産でも短期に現金化できるものは少なく、資金繰り倒産のリスクが大きいと正しく反論する。

そのうえで著者は、財務省・日銀は十年間、5~7%の穏やかなインフレを起こして財政再建をめざすつもりとみて、「建設的」な案だと評価する。しかし実際には制御できずにハイパーインフレに陥り、「国民は地獄を見る」と警告する。

だがハイパーインフレなら「地獄」で、マイルドインフレなら「建設的」という考えは正しくない。穏やかなインフレを十年続けると実質国債残高は半減すると著者はいうが、これは国債保有者にとって財産が実質半減することを意味する。

ハイパーインフレは明らかに悪だから、歯止めがかかりやすい。しかし穏やかなインフレはむしろ善という迷信が政府や経済学者、評論家によって流布され、国民の財産を長期にわたり奪い取る。ある意味でハイパーインフレより怖ろしい。

2016年12月2日金曜日

〔翻訳〕輸出促進の勘違い

David Boaz, The Benefit of Trade Is the Import; The Cost Is the Export(貿易の利得は輸入、代価は輸出)より抜粋。

貿易の利得(benefit)は輸入であり、代価(cost)は輸出である。政治家はこのことを理解していないようだ。

オバマ大統領(President Obama)は「貿易と輸出を増やし米国の雇用を促進しよう」という公式声明で、輸出という言葉を40回以上も使った。輸入は1回もなかった。

共和党のポートマン上院議員によれば、貿易協定(trade agreement)は「米国の輸出増加にとってきわめて重要」という。1996年の大統領選でブキャナン候補は「米国製品をもっと多く輸出しなければならない」と述べた。完全に間違っている。

海外製品を手に入れるのに必要な分以上に、自分たちの富(wealth)を国外に送りたくはない。

サウジアラビアが石油を、韓国がテレビをタダでくれれば、米国民は得をする。テレビ製造に使われていた労働と資本(people and capital)が、他の製品の生産に移ることができるからだ。

2016年12月1日木曜日

リドレー『繁栄』

繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史
繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史

悲観主義を吹き飛ばせ

「経済成長はもう限界」「温暖化で未来は悲惨」――。近年、こんな暗い予測がもてはやされる。こうした悲観主義に対し、「合理的な楽観主義者」を自称する著者は異を唱える。人類の生活や環境の改善に限界はない。カギは「交換」だ。

著者は論じる。生殖によって異なる個体の遺伝子が組み合わさると、生物の進化は加速する。同様に、物の交換を通じて知識が融合すると、文化の成長は加速する。血縁者以外との交換は他の動物にはない習性で、人類を繁栄に導いてきた。

知識のすばらしさは無尽蔵であることだ。アイデアや発見、発明が枯渇することなど理論的にもありえないし、それらには無数の組み合わせがある。だからイノベーション(技術革新)には終わりがない。この事実が著者の楽観論を支える。

悲観主義者の2枚の「切り札」はアフリカと気候変動だ。しかし技術革新が明るい見通しをもたらす。ケニアでは総人口の4分の1が2000年以降に携帯電話を購入。農夫は作物が一番の高値で売れる市場を探し出し、暮らしが楽になったという。

かりに国連の予測どおり地球の気温が今世紀中に3℃上昇しても、むしろ環境にはプラスという。温暖な気候や降雨、二酸化炭素の濃度上昇により寒冷・乾燥地帯でも食糧の収穫が増える。新技術と相まって農地は最小限で済むようになる。

繁栄は権力者という捕食者・寄生者によって妨げられる恐れもある。しかしそれはせいぜい一時の挫折にとどまると著者はみる。人類の交換と専門化がこの地球のどこかで続く限り、文化は進化するからである。非合理なナショナリズムの空元気などとは無縁な、理性に裏づけられた希望を与える書だ。

2016年11月30日水曜日

〔翻訳〕カストロの実像

Abigail R. Hall Blanco, Make No Mistake: Fidel Castro Was a Horrible Person(間違いなく、カストロはひどい人間だった)より抜粋。

カストロは政権初期の十年、さまざまな「進歩的」(progressive)改革を行った。支持者によれば、国民の読み書き能力を高め、平等を実現しようとしたという。映画監督マイケル・ムーアは愚かにも、キューバの医療制度を映画「シッコ」でほめ称えた。

カストロ支持者が無視しがちなのは、カストロ政権が行った数々の人権侵害(human rights abuses)である。元政府関係者の集団処刑、同性愛者の強制収容、大規模な国民監視はごく一例にすぎない。

1952年5月から今までにキューバ政府によって殺害されたのは推定1万723人。これらの殺害(killings)に加え、およそ7万8000人が国外逃亡を図った際に死亡したとみられる。

現在キューバ人はちょっとした医療措置を受ける際にも、「献血」を求められる。メディアは年中キャンペーンを張り、「命を救う」ため献血を促す。実際には、キューバ政府は血液製剤(blood products)を輸出し続けてきた。

カストロは一人の老人として安らかに死んだ。カストロ政権の暴力によって非業の死を遂げた多数のキューバ人(Cubans)は、そうではない。

2016年11月29日火曜日

上念司『財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済』

財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済 (講談社+α新書)
財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済 (講談社+α新書)

財政破綻しないのはよいことか


個人や団体が借金で破綻しないことは一般には望ましいものの、いつもそうとは限らない。とくに国の財政の場合、破綻しないのはむしろ悪である場合が少なくない。国の収入源は税であり、税は借金に責任のない国民まで苦しめるからだ。

著者は、財政破綻を避けるために増税が必要とする財務省やマスコミの主張を批判する。またUR(都市再生機構)など政府系法人の業務を縮小し、不要な出資金を政府に返せと述べる。これらの主張は正しい。ところがその後がいけない。

著者は、徴税権と通貨発行権を持つ政府を不死身の「鈴木さん」にたとえ、鈴木さんの仕事は町内会を回って会費を集めることで(徴税権) 、鈴木さんの妻は偽札作りの名人 (通貨発行権)なので借金を返せなくなることはないという。

しかし、考えてもみてほしい。鈴木さんと同じ町内に住む人々は幸せだろうか。無駄遣いされない保証もないのに町内会費を取られ、いつ偽札をつかまされるかわからない。こんな形で鈴木家の破綻が避けられても、他の住民には迷惑でしかない。

むしろ住民にとっては鈴木家が破綻し、夜逃げでもしてくれたほうがましだろう。著者によると、財政破綻で公営医療が崩壊した北海道夕張市では、意外にも老人が元気になり、寿命も延びたという。財政破綻は必ずしも悪いことではない。

2016年11月28日月曜日

〔翻訳〕貿易は職を奪わない

Benjamin Powell, Protectionism Will Make America Poor, Not Great(保護主義は米国を偉大にせず、貧しくする)より抜粋。

トランプ米次期大統領はブルーカラー有権者の票を多く集めた。その理由は、「貿易は米国の雇用を破壊する」というよくある誤り(popular fallacy)を有権者が信じていることだ。経済学者なら誰もが知っているとおり、貿易は雇用を生みも壊しもしない。

輸入が増えると、それと競合する国内産業(domestic industries)の雇用はしばしばなくなる。これは有権者に見える。有権者が気づかないのは、まさにその輸入によって他に雇用が生み出されることだ。

輸入の半分以上は部品や原料(raw materials)で、他の製品・サービスの生産に使われる。貿易で部品や原料が値下がりし、手に入れやすくなると、それを使う国内産業は競争力が高まって販売量が伸び、その結果、雇用を生み、増やす。

同じく、外国人(foreigners)が米国に輸出してドルを受け取ると、より多くのものが買えるようになり、米国の輸出市場が広がる。これは米国で輸出産業の雇用を増やす。

国際貿易は国内雇用の数ではなく、組み合わせ(mix)を変える。それによって、米国の労働者も外国の労働者も、それぞれ相対的に生産性の高い仕事を行うことができるようになる。

2016年11月27日日曜日

水野和夫『株式会社の終焉』

株式会社の終焉
株式会社の終焉

寛容の強制?


「寛容」とは、「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」(大辞泉)を意味する。この正しい意味であれば、寛容になろうという主張には大賛成だ。ところが本書では逆の意味で使われる。

著者は本書で、近代が終わりを告げる21世紀の原理の一つは「より寛容に」だと述べる。これが正しい意味の寛容であれば、結構なことである。ところが著者によれば、現在求められる寛容とは、具体的には「応分の税を企業も個人も負担すること」だという。

なぜ「応分の税」の負担(つまり増税)が寛容なのか。著者によれば、寛容主義のもっとも象徴的なのは贈与だが、国全体が危機に陥っているとき、個々人の善意に頼っていてはうまくいかないからだという。いわば寛容を強制するわけだ。

しかし強制された寛容は、もはや寛容の名に値しない。カントが述べたように、道徳的行為は自由意志に基づかなければならないからだ。そもそも、これ以上税を払いたくないという考えを否定する著者の発想自体、寛容の精神に反する。

著者はまた、新たな時代に対応するため、企業は減益計画を立て、現金配当をやめて現物給付にせよと提案する。そんな会社に誰が出資するか疑問だが、試すのは自由である。ただし強制だけはやめてほしい。それは寛容の精神に反する。

2016年11月26日土曜日

〔翻訳〕ファシズムは社会主義

George Smith, Ayn Rand Predicted an American Slide toward Fascism(アイン・ランドの予言――米国はファシズムに向かう)より抜粋。

米作家アイン・ランドは賢明にも、「社会主義(共産主義)は左翼思想の過激版」「ファシズムは右翼思想(資本主義)の過激版」という従来の二分法(dichotomy)を認めなかった。ランドによれば、ファシズムとは「大企業のための社会主義」である。

社会主義とファシズムはどちらも国家主義(statism)の一種であり、それと対照的なのは、個人の権利と自由放任資本主義に基づく自由な国である。

ランドによると、社会主義とファシズムを政治的立場の両極端に位置づけることは、あるよからぬ目的に役立つ。それは「過激主義」を避け、「混合経済」(mixed economy)という分別ある中道路線を選ばなければならないという考えを強化することである。

ランドによれば、福祉国家を支持する米国人の多くは社会主義者ではない。彼らは私有財産の保全を求める一方で、私有財産に対し政府が支配を強化するよう求める。しかしそれこそがファシズムの基本的特徴(fundamental characteristic)なのだ。

ランドは、米国が完全な(full-blown)ファシズムに陥ったと言ったわけではない。しかし道徳は利他主義、集団主義に基づくという〔誤った〕前提をリベラルも保守主義者も同じように受け入れ、主張していると信じた。

2016年11月25日金曜日

高橋洋一『これが世界と日本経済の真実だ』

これが世界と日本経済の真実だ
これが世界と日本経済の真実だ

偽りの増税反対

昔、猿回しが猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと喜んだという。目先の違いに気をとられ、実際は同じであるのに気づかない「朝三暮四」の由来だ。

著者は消費増税に反対する。それには賛成だ。だが残念ながら、著者の増税反対は本物ではなく、朝三暮四でしかない。それはこの記述に明らかだ。「消費増税するとしても、増税をする前に経済を立て直してから増税を行うとすればいい」

不況で国民の生活が苦しいときに増税をやめるのは正しい。しかし不況が終わったら結局増税されるのでは、楽になるはずの生活は楽にならない。より正しい政策は、不況時に消費税率を引き下げ、不況が終わっても元に戻さないことだ。

一方で著者は、アベノミクスの金融緩和を高く評価する。だが金融緩和とは国民の持つ現預金の価値をわざと引き下げることで、形を変えた増税である。著者自身、別の場所で「インフレ税」と呼んでいる。財務省の露骨な増税より悪質だ。

さらに著者は、国税庁と年金機構を一体化した「歳入庁」の創設を提案し、メリットとして「税と保険料の歳入増」をあげる。自営業や農家の徴収漏れを苦々しく思うサラリーマンの心情には訴える議論だが、それなら正しい道は自営業などの徴収強化ではなく、サラリーマン減税だろう。

財務省の増税路線に対する著者の批判は正しい。しかし増税そのものに本気で反対するつもりはないのではないか。そんな疑念が強まるばかりだ。

2016年11月24日木曜日

〔翻訳〕自由貿易の幻

Scott Lincicome, Don't Blame Free Trade. We Don't Have It.(自由貿易は悪くない。米国は自由貿易ではないのだから)より抜粋。

トランプ氏が次期大統領に決まり、米国で「偉大な自由貿易の時代(free trade moment)は終わろうとしている」という声をよく聞く。一見もっともらしいが、完全に間違っている。

米国の関税率は平均すると約3%と比較的低いものの、さまざまな「政治的に微妙な」(politically-sensitive)(つまり、熱心にロビー活動された)製品には高い関税をかけている。ピーナッツ131.8%、ツナ35%、乳製品20%、軽トラック25%などだ。

米国では非関税障壁(non-tariff barriers)も近年急増している。輸出補助金、差別的規制、国産品購入ルール、フェアトレードの義務づけなどだ。あらゆる形式の貿易障壁を足し合わせると、世界一保護主義的な国は中国でもメキシコでもなく、米国である。

米国は373品目に対し保護主義的な税(protective duties)をかけており、うち90%以上は最近3年間に始まったものだ。中国製品は140品目を占め、関税率はしばしば100%に達する。

米鉄鋼業は反ダンピング関税や相殺関税の半数以上で保護されている。にもかかわらず、トランプ次期大統領らから「無制限な」(unfettered)自由貿易信仰の犠牲者と呼ばれる。鉄鋼、繊維業の不振や労働者の生活苦は、保護が足りないせいではない。

2016年11月23日水曜日

井出留美『賞味期限のウソ』


食品ロスは不合理か

19世紀フランスの経済学者バスティアは、悪い経済学者は「見えるもの」についてしか考えないが、良い経済学者は「見えないもの」についても考えると強調した。この違いは経済学者だけでなく、経済ジャーナリストにもあてはまる。

本書は残念ながら、「見えるもの」についてしか考えていない。農林水産省の調査によれば、日本の食品ロス量は632万トン(2013年度)。著者は、これは世界の食料援助量の約2倍に達し、「明らかに異常な数字」と警鐘を鳴らす。

しかし日本の食料廃棄量は外国と比べ突出して高くはないとの指摘もあるし、そもそも信頼できる統計が少ない。一歩譲って、かりに日本の食品ロスが世界有数の多さだとしても、それがすなわち「大きな不合理」だということはできない。

スーパーやコンビニで食品が売れ残る一因は、欠品が出ないよう多めに作るからだ。著者は「商品がいつも棚にぎゅうぎゅうに並んでいる必要はあるのでしょうか」と消費者に反省を促す。だが店に商品がなければ、消費者は時間を無駄にする。

消費者は多くの場合、生産者やそれを助ける人々だから、商品探しに時間を浪費すれば、その分生産が減る。生産が減れば、飢餓や貧困はむしろ悪化する。政府が食品ロスをなくそうと税金を使い、規制を強めれば、それも生産性を下げる。

食品ロスは、見切り品の安売りなど市場原理を利用して減らせる。だがそれ以上無理に減らそうとするのはよくない。無理な食品ロス減らしは、目に見えない時間ロスと人々の不幸をもたらすだけだからである。

2016年11月22日火曜日

〔翻訳〕最低賃金上げで苦しむ庶民

Brittany Hunter, Can Parents Afford a Higher Minimum Wage?(親は高い最低賃金を払えるか)より抜粋。

米ワシントン州は住民投票で、2020年までに最低賃金(minimum wage)を時給9.47ドルから13.5ドルへ段階的に引き上げることを決めた。最初の引き上げは来年1月だが、地元の雇用主は賃上げ分を捻出する方法をすでに探り始めている。

同州のある託児所では賃上げ分を料金(tuition)に上乗せするしかなく、多くの親たちは驚き、心配している。1月からの値上げ幅は子供1人につき月140ドル。子供の多い親は月数百ドルの負担増となる。

もっと安い託児サービスを探しても、あいにく代わり(alternatives)はなさそうだ。地元の報道機関が地域の託児所を当たったところ、料金引き上げが地域内で一律となるのは今のところ避けられそうにない。

州が値上げ分を払ってくれたらどんなにいいことだろう。しかし州が直接収入(revenue)を得ようとすれば、住民から取るしかない。税金で直接取るにせよ交通違反などの罰金を充てるにせよ、賃上げ分をまかなうのは無理だ。

市場の需要や企業の利益と無関係に、賃金を人為的に引き上げると、必ず経済的な窮乏(financial hardships)をもたらす。誰でも子供のころ、お金は木にはならないと教わる。最低賃金引き上げを支持する人たちは、その教えを忘れてしまったようだ。

2016年11月21日月曜日

スコット『ゾミア』


脱国家の知恵

国家という政治形態が世界の隅々まで行き渡る現在、国家の外部で生きることなどありえないと私たちは信じている。しかし人類史の大部分において、それは現実的な選択肢だった。本書は東南アジアを舞台に、興味深い事実を詳細に描く。

「ゾミア」とはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマの5カ国と中国の4省を含む丘陵地帯を指す。ここには国民国家に統合されていない約一億の山地民が住む。彼らは税を払わず、相対的に自由で、国家をもたない人々である(p.19)。

山地民などの「野蛮人」は、原始からの生き残りだと一般に思われている。著者はそれに異を唱える。辺境民の生業、組織、文化は古代からの伝統や慣習ではなく、国家への編入や権力の集中を防ぐため、意図的に設計されたものだという(p.8)。

たとえば焼畑は水稲より古くて非効率というのは誤解にすぎない。焼畑民は鉄斧のおかげで開墾の労力が大幅に減ったし、ハーブや胡椒などの高級品を国際交易で売り、痩せた土地でも育つキャッサバなど新大陸産の作物も入手し栽培した(p.199)。

キャッサバなど根菜類・塊茎類の利点は軍隊や徴税人の収奪から安全なことだ。熟成した実は二年くらいまでならそのまま土の中に置いておけるから、略奪すべき穀物倉庫がなくて済む(p.198)。国家が管理しやすい定住民による稲作とは対照的だ。

「ゾミアが非国家圏であり続けるのもそう長くはないだろう」(p.ix)と著者はいう。しかし一方で、人類史上、国家は恒久不変のものではなく、形成と崩壊を反復してきたとも指摘する(p.7)。

納税や徴兵の負担が限界に達すると、人々は辺境や別の国家にすばやく逃げた。「民衆にとっては逃走という物理的行為こそが自由の源泉であり、逃避こそが国家権力に対する主要な抑制力であった」(p.33)

現代は国家の支配力が強まった半面、交通・通信手段が飛躍的に発展し、ある意味では国家から逃げるチャンスも広がっている。本書に示された「脱国家」の知恵があらためて注目される日は遠くないだろう。

2016年11月20日日曜日

〔翻訳〕賃上げ政策の愚

Mark Thornton, Mandating Higher Wages Won't Fix Japan's Economy(賃上げ強制で日本経済は良くならない)より抜粋。

アベノミクス(Abenomics)の考えによれば、賃上げ政策は消費を増やし、経済成長をもたらす。しかし実際には、政治主導の賃上げはむしろ仕事を減らし、雇用創造を遅らせる。何かの値段を上げれば、他の条件が同じなら、需要の量は減るからである。

仕事を増やすのは賃上げではなく、賃下げである。事業家が雇用を増やすのは市場で賃金率が下がったときだ。仕事が増えると生産が増える。生産が増えると、通貨量が変わらない限り、物価が下がる。すると賃金の実質購買力(real purchasing power)が高まる。

ケインズ主義者(Keynesians)とその親戚であるアベノミクス主義者は、デフレ(物価下落)を恐れる。デフレに近づくだけで壊滅的な不況に陥り、二度と立ち直れなくなると恐れる。このデフレに対する恐怖心には、理論や事実の裏づけがない。

大恐慌当時、フーバー米大統領(President Herbert Hoover)は高い賃金を維持させる政策を試み、かえって不況を悪化させた。これは保護貿易、インフレ政策など他の介入政策とともに、大恐慌をもたらした主因の一つである。

もし安倍晋三(Shinzo Abe)首相が日本の実質賃金と雇用を改善させたいのなら、過去に失敗した賃上げ政策を繰り返してはならない。それはいたずらに不況を長引かせるだけだったのだから。

2016年11月19日土曜日

清武英利『プライベートバンカー』

プライベートバンカー カネ守りと新富裕層
プライベートバンカー カネ守りと新富裕層

苛政は虎よりも猛し

孔子が泰山の近くを通ると、墓の前で泣く女がいた。「舅と夫と子が虎に食い殺された」と言う。孔子が「なぜここを去らないのか」と尋ねると、女は答えて、「重税を課すむごい政治がないから」。本書を読んで、この故事を思い出した。

舞台は課税優遇地のシンガポール。日本から税逃れのため多くの資産家が移住する。一番の望みは子に財産を残すこと。1年の半分以上を現地で暮らし、それを5年間続ければ、海外資産の相続税は払わなくて済むようになるといわれる。

しかし移住した資産家たちは精神が満たされない。多くは一代で財を成した事業家。税逃れのためにただ時間をつぶすのは虚しい。英語ができないと現地で仕事は難しい。関西出身の資産家は酔って「南国の監獄の中にいるようや」と嘆く。

ある元病院長は、何をするにもがんじがらめで自由のない日本を見限り、終身旅行者の人生を選ぶ。問題は、犯罪の多い国では自分の身は自分で守らねばならないこと。彼は信頼していた銀行家の陰謀にかかり、あやうく殺されそうになる。

異国の地がどんなに味気なく、ときに危険を伴っても、資産家が「南国の監獄」を選ぶのは、日本の税がそれだけ苛酷だからだ。精力的な事業家を重税で虐げ、国外に追いやる日本。孔子が聞けば「苛政は虎よりも猛し」と憤るに違いない。

2016年11月18日金曜日

〔翻訳〕あなたの国をつくろう

Justin Murray, Secede and Decentralize: An Open Letter to Clinton Supporters(離脱と分権化を――クリントン支持者への公開書簡)より抜粋。

米国各州を今回の大統領選の支持候補別に色分けすると、一部を除き、分離独立(secession)によって少なくとも3つの国(クリントン支持者の多い2カ国とトランプ支持者の多い1カ国)に分かれるのに、おあつらえ向きの分布となっている。

米国がカスカディア(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、ネバダ、ハワイ州)、ニューイングランド(バージニアからメーンの民主党支持州)、米国(その他)の3カ国(three entities)に分かれても、GDPは世界でそれぞれ2、4、6位と上位だ。

米国が3カ国に分離すれば、貿易慣行、移民政策、外交政策、軍事支出、裁判制度、金融政策などを、より望ましい形で調和させることができる。選挙人制度(Electoral College)の代わりに直接選挙や欧州式議会の導入だってできるだろう。

現状のままだと、クリントン支持者の望みは一つしかない。リベラル思想(your philosophy)が無党派層の支持を再び集め、自分のライフスタイルを他人に押しつけられるようになることだ。それは自分がそうされるリスクと背中合わせである。

米国から離脱すれば、クリントン支持者はトランプ政権の下で暮らさなくて済むし、自分自身の運命を切り拓くことができる。今の米国で選挙のたびに繰り返される対立や不和(strife and divisiveness)から解放されるのである。

2016年11月17日木曜日

伊東ひとみ『キラキラネームの大研究』

キラキラネームの大研究(新潮新書)
キラキラネームの大研究(新潮新書)

国語政策が壊した日本語

漢字のわかりにくい読み方を用いた「キラキラネーム」は日本語を壊す、という批判がある。しかし著者が指摘するとおり、それは因果関係を取り違えている。日本語の漢字の体系が壊れかけているから、キラキラネームが増殖するのだ。

日本語はやまとことばを中国からの輸入品である漢字で表記する。だから無理な読み方は日本語の宿命でもある。堂々たる正統派の名前である「和子」の「和」を「かず」と読むのも実は無理読みで、江戸時代に本居宣長が嘆いたという。

奇抜な名でも、漢籍の教養が生きていた時代には、漢字の意味はおろそかにされなかった。森鴎外の長男の名「於菟(おと)」は「オットー」というドイツ人風の響きに目が向きがちだが、実は中国の古典『春秋左氏伝』に由来するという。

漢字の体系を崩したのは、明治以来の国語政策だ。とくに戦後、「佛」は「仏」に略されたが、同じ部首の「沸」はそのまま。「訣別」は「決別」としたのに、「秘訣」を「秘決」と書くのはダメ。一時は「お母さん」が認められなかった。

今やパソコンの普及で漢字の整理も使用制限も無意味になった。キラキラネームを行政が規制せよとの声もあるが、著者は現状が「公的権力の介入の結果」だと指摘し、規制に反対する。言葉に必要なのは、自由な使用を通じた進化である。

2016年11月16日水曜日

〔翻訳〕トランプと金本位制復活

Larry White, What We Know About Trump's Monetary Views(トランプの通貨構想についてわかっていること)より抜粋。

実は、米政府はフォートノックス(Fort Knox)などの金塊貯蔵所に金本位制の復活に十分な量の金がある。1オンス1280ドルとすると、政府保有の2億6150万オンスは約3350億ドル相当。現在必要な銀行準備金はわずか1680億ドルだ。

見方を変えると、政府の保有する約3350億ドル分の金は、3兆3470億ドルあるM1(現金と要求払預金の合計)の10%強にあたる。これは過去の基準からみて十分すぎるほど健全な準備率(reserve ratio)である。

この点からみて、金本位制の復活(restoration)は大いに実現可能である。連邦準備理事会は量的緩和を終わらせたうえで、民間銀行の支払準備を金に交換し、それをドル紙幣の裏付けにできるだろう。ドル紙幣はかつてのように金との兌換が可能になる。

さらに望ましいのは、政府が民間銀行に対し自前の通貨(own currency)の発行を再び認めることだ(もしすでに法律上可能なら、処罰しないと約束すること)。

トランプ次期大統領はどうやら、低すぎる金利は誤った投資を誘い、資産バブルを生むことに気づいたようだ。(財務長官候補とされる)ヘンサーリング下院議員(Rep. Jeb Hensarling)らが唱える改革案に賛成し、連銀に金融政策のルールを課すかもしれない。

2016年11月15日火曜日

村上由美子『武器としての人口減社会』

武器としての人口減社会~国際比較統計でわかる日本の強さ~ (光文社新書)
武器としての人口減社会~国際比較統計でわかる日本の強さ~ (光文社新書)

平等強制の誤り

女性は不当に束縛されず、自由に生きる権利がある。なぜなら人間はすべてそうだからである。しかし人間はともすれば、男女を問わず、他人の自由を不当に束縛することに鈍感になりがちだ。本書の著者も、その誤りに陥っている。

著者は、企業で指導的立場に立つ女性が少ない日本の現状を打破するには、男女の待遇差別を罰する制度の強化など「ムチ」に関する議論が必要と述べる。しかし誰を雇い、どのように待遇するかは、事業主にとって大切な自由のはずだ。

著者が女性の自由を大切に思うのなら、事業主の自由も尊重し、それを侵害しかねない法規制には慎重でなければならない。「差別」の処罰強化で事業主の自由が束縛されれば、それは経済全体だけでなく、女性自身の利益にもならない。

待遇の違いが不当な差別に当たるかどうかは微妙なケースが多い。罰則強化で企業が萎縮し、女性差別と受け止められないことを第一に人事を決めるようになれば、規制の緩やかな国の企業との競争で不利になり、払える賃金は少なくなる。

著者の元勤務先であるゴールドマン・サックスでは、性差別で訴えられるのを防ぐため、幹部社員に研修を徹底していたという。だが企業のそうしたコストを負担するのは結局消費者だ。生活費が上がり、低賃金の女性が苦しむことになる。

日本で女性の子育て後の継続就業が難しいのは、長期雇用保障、年功昇進・賃金の日本的雇用慣行が暗黙のうちに「夫は仕事、妻は家事・子育て」という家庭内の役割分担を前提としているからだ(八代尚宏『新自由主義の復権』)。背景には労働組合をはじめ利益団体の既得権があるため、改革が進まない。

著者は労働市場の流動化を高めるよう唱える。これは既得権に踏み込む改革だから賛成だ。しかしせっかく労働を流動化しても、女性「差別」が厳罰の対象となれば、企業は女性の採用に尻込みしかねない。権力によって平等を強制しても、人間は幸せになれない。

2016年11月14日月曜日

〔翻訳〕トランプ政権に求める経済政策

Mises Institute, 7 Things Trump Must Do(トランプがなすべき7つのこと)より抜粋。

トランプ政権に求める経済政策。

(1)医療保険制度改革(オバマケア)の撤回。医療保険(health insurance)で州同士の競争を妨げない。医療と医療保険は市場に任せる。

(2)千ページもある国際貿易協定(international trade agreements)を、明確な言葉遣いの一つの段落に書き直すこと。米国のあらゆる企業・消費者が、世界中のあらゆる企業・消費者と互いに満足できる条件で取引できるようにする。

(3)マリファナに対する連邦政府の規制廃止。マリファナなど薬物の規制は州に任せる。理想は「麻薬との戦い」(Drug War)をやめ、成人によるあらゆる薬物の製造・使用を合法化すること。

(4)連邦政府の最低賃金(minimum wage)を現行水準に固定するか引き下げること。最低賃金法は州に任せる。理想はあらゆる最低賃金法の廃止。最低賃金法は職を破壊するから。

(5)法人税率(corporate tax rate)を引き下げ、先進国で最低にすること。理想は法人税の廃止。配当に所得税を払う株主に対する二重課税だから。

(6)連邦準備理事会に対し、あらゆる形式の量的緩和(quantitative easing)と金利規制を法的に禁止すること。預金者と投資家の金利は市場で決めなければならない。また、連邦準備制度の予算は一般の省庁同様、議会の定める予算で決めること。

(7)繰り返す金融危機と不況に対する長期の対策として、現行の膨張したドル紙幣を別の貨幣制度で置き換えるよう真剣に検討すること。それによってたとえば金本位制(gold standard)のような、健全で市場に立脚した商品貨幣を育てる。

2016年11月13日日曜日

スティグリッツ『ユーロから始まる世界経済の大崩壊』


緊縮財政への不当な非難

ケインズが生んだマクロ経済学は、経済の量的側面だけを重視し、質を無視する。雇用が減るのは問答無用に悪いと考え、雇用を増やす政策は無条件で良い政策だと称える。著者のような政府の覚えめでたい経済学者ほど、その過ちを犯す。

著者は「緊縮財政が国家に押し付けられれば、政府は歳出を削減し、結果として国民は仕事を失う」と述べる。それは正しい。しかし緊縮財政を非難する根拠にはならない。社会にとって重要なのは仕事の量ではなく、仕事の中身だからだ。

公共事業で道路や空港を造り続ければ、たとえほとんど使われなくても、仕事は維持できる。だが社会の利便を高めたことにはならない。仕事は社会を便利にするためのものだ。仕事を維持するために社会に不便を強いては本末転倒である。

著者によれば1929年の株価大暴落の際、フーバー米大統領は「緊縮財政策を採用し、株価暴落を世界大恐慌へと発展させてしまった」という。この俗説は誤りで、実際にはフーバーは積極的に財政出動し、それで経済を悪化させたのだ。

仕事を失うことはもちろん大変だ。だからといって無駄な公共事業で無理に雇用を維持すれば、労働者は将来性のある仕事に転じる機会を逃し、後々かえって苦しむことになる。目先の雇用さえ増えれば満足な著者には、それがわからない。

著者は公共事業は税金の無駄遣いという批判を意識してか、国家を企業にたとえ、政府が借金を原資にインフラや教育や技術に投資すれば、国民の暮らしを上向かせる可能性があるという。もしそれが可能なら、ソ連などの社会主義国では国民の不満もなく、破綻もしなかっただろう。どんなインフラ、教育、技術がどれくらいのコストなら有用かを判断できるのは、市場だけである。

2016年11月12日土曜日

〔翻訳〕ヒラリーの敗北、女性の勝利

TJ Brown, Dear Women: A Hillary Clinton Loss Does Nothing To Harm Your Personal Ambitions(女性の皆さんへ――ヒラリー・クリントンが負けても、あなた個人の志は妨げられない)より抜粋。

女性進出を阻む「ガラスの天井」(glass ceiling)は、一人の女性を公職に就ければ破れるものではない。破るのは、自身の幸福を求める個々の女性だ。ヒラリー・クリントンの敗北は女性の敗北だという評論家の言葉を信じてはいけない。真実は正反対だ。

独裁的支配者(authoritarian ruler)の敗北は、それが男であれ女であれ、個人が目標を達成する可能性にとって勝利である。トランプもヒラリーも、ガラスの天井を破るために本当に役立つことには関心がない。それは独立と自由である。

歴史上、女性が最も偉大な業績を実現したのは選挙によってではない。市場で、人間の行動(human action)と個人主義を通じてである。だからヒラリーの敗北はヒラリーだけのものでしかない。

文明の進化は、ヒラリーが政治家をやめた後もずっと続く。それまでに世界中の何十億人もの女性がはるかに重要な役割を果たし、革新を起こし、歴史の流れを導くだろう。彼女たちの99%はそれを政治以外の手段(voluntary means)で成し遂げるだろう。

自分が望む変化を世界に起こしたければ、そのためにただ投票するのではなく、最初の一歩を踏み出そう。大統領になる必要はない。資本主義があらゆる人の創造力と夢への情熱(visionary passions)に機会をもたらす。

2016年11月11日金曜日

ソミン『民主主義と政治的無知』


政治教育はいらない

メディアはしばしば、国民が政治に無知だと嘆く。たしかに政治的無知は、国民自身の身を危うくしかねない。しかし本書が述べるとおり、政治的無知にはそれなりの合理的理由がある。知識を無理強いするより、すぐれた解決策がある。

大部分の人々にとって、政治的無知は合理的でありうると著者はいう。「政治について最小限の時間と努力を費やすことは利益よりも費用の方が大きい」(p.64)からだ。個人として有権者が選挙結果に影響を及ぼす確率は、ほとんど無である。

だから通念に反し、投票率の上昇は必ずしも望ましくないと著者は指摘する(p.198)。政治的無知が広がる中で投票率を上げれば、投票者の平均的な知識レベルを引き下げ、政治的無知がもたらす危険を悪化させるかもしれないからである。

教育を通じた政治的知識の向上が叫ばれるが、期待はできない。学習から得られる利益が十分大きくないからだ。国民が無知なおかげで当選した政治家にも、人々の知識レベルを向上させるようなカリキュラム改革を行う気はないだろう(p.176-177)。

より賢明な解決策は、自分が望む州や地域に移住する「足による投票」である。移住のコストはかかるものの、投票箱による投票よりも情報獲得の意欲がわくし、判断に必要な情報量も少なくて済む。

「足による投票」の促進には、政府機能を州や地方の政府に分権化することや、もっと多くの争点を始めから政府の外で決定することが鍵となる(p.199)。

2016年11月10日木曜日

〔翻訳〕選挙の勝者は憎悪

Jeffrey Tucker, And the Election Winner Is…Enmity(そして選挙の勝者は…憎悪)より抜粋。

ショッピングモール、バー、レストラン、野外パーティー、教会、映画館、コンサート、またスポーツ大会でさえ、心地よい調和(blessed harmony)を感じる。人々はたいていの場合、仲良くやる。他人を国家の敵と呼んだりしないし、よそ者とも助け合う。

一方、大統領選で政治大会に行ったり、家族と政治について議論したりしたときは、様子がまったく違っただろう。NYタイムズのコラムニスト、デビッド・ブルックス(David Brooks)によれば、「今回の大統領選は社会の分断を学ぶ場」だったそうだ。

巨大な政府を作り、派閥争いをすると、問題が起こる。勝つ側と負ける側が出るのだ。選挙の結果にかかわらず、恨み(resentments)が残る。復讐の準備が始まる。しかし忘れてならないのは、これはほとんど政治だけの話ということだ。

政府は大きくなればなるほど、生活の平和な領域(peaceful areas)をしだいに侵す。社会に不要な分断を生み出す。政府自身がもたらした問題を解決するために、政府をもっと大きくしようと唱える。

今私たちは二つの世界に生きている。対立の世界と調和の世界だ。あなたはどちらを信じ、求めるだろうか。日常生活で目にする利益の調和(harmony of interests)を支持するだろうか、それとも大統領選で見せつけられた対立を求めるだろうか。

2016年11月9日水曜日

植木雅俊『仏教、本当の教え』

仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)
仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)

日本仏教の権力迎合

すぐれた宗教は、世俗の権力や権威とは異なる価値観を示す。インドで生まれた仏教もそうである。ところが本書によれば、中国を経て日本に渡った仏教は、最初から国家のためという思想で始まった。その影響は現在にも及んでいる。

著者によると、インド哲学者の中村元は常々、「インド仏教では、国王を泥棒と同列に見ていた」と話した。人の物を取り上げる点で変わりないからだ。泥棒が非合法的に取る一方、国王は税金という形で合法的に取るのが違うにすぎない。

中国では、天命を受けた帝王に民衆は服従するものとされた。一切衆上の平等や慈悲を説く仏教とは対立する。北宋の初め、国家は宗教を従属させるが、それでも仏教者は、国家のために積極的に働こうとまではしなかったとされる。

ところが日本の仏教は伝来した当初から、鎮護国家の思想が支配的だった。ここがインドや中国との大きな違いという。また、インド仏教では「人」より「法」を重視するが、日本では聖徳太子信仰や弘法大師信仰など個人崇拝が顕著だ。

国家など帰属する集団を優先し、自己の自覚に乏しい傾向は、仏教用語の意味にまで影響する。「義理」とは本来「ものごとの正しい筋道」を意味するが、日本では「義理を欠く」などと「目上の人に対する義務」という意味で用いられる。

日本でも仏教が政治と違う価値観を貫く時代はあった。元寇や島原の乱の戦死者は「怨親平等」の精神から、敵味方の区別なく弔われたという。明治政府はここから逸脱し、靖国神社には官軍だけが祀られ、賊軍の死体は野ざらしにされた。

世俗権力に迎合し、同じ価値観を説くのであれば、宗教の存在意義はない。国家に対する批判精神の弱さは日本仏教の弱点である。税は合法的な窃盗にすぎないと覚めた目で突き放す、仏教の原点に立ち返る必要がある。

2016年11月8日火曜日

〔翻訳〕カール・シュミットの亡霊

Tom G. Palmer, Carl Schmitt: The Philosopher of Conflict Who Inspired Both the Left and the Right(カール・シュミット――左右両翼を奮い立たせた対立の哲学者)より抜粋。

カール・シュミット(Carl Schmitt)はドイツの法学者で、著書『政治的なものの概念』は、自由主義に反対する左翼と右翼に大きな影響を及ぼした。シュミットによれば、政治上の相違をせんじ詰めれば、友と敵(friend and enemy)の関係に行き着くという。

マルクス主義哲学者のスラヴォイ・ジジェクによれば、反自由主義的な左翼・右翼の政治思想家はいずれもシュミットの「友敵関係」説を信奉している。この左右の思想家たちにとって、「生まれつきの敵意」(inherent antagonism)こそが人間の本質である。

近年、「カール・シュミット業界」をにぎわすのは極左だ。シュミットの思想は自由主義と平和への攻撃で中心的役割を果たす。左翼著作家アントニオ・ネグリと文学研究者マイケル・ハートは「新たな共産党宣言」(new Communist Manifesto)として売り込んでいる。

シュミットの政治思想は米国のネオコン(新保守主義)思想とも関係がある。おもにシュミットに影響を及ぼした哲学者レオ・シュトラウス(Leo Strauss)とその一派(ウィリアム・クリストルやNYタイムズのデビッド・ブルックスら)を通じてである。

シュミットにとって自由貿易は戦争に代わる平和的手段ではなく、戦争よりも残忍な搾取をごまかすものにすぎなかった。普遍的人権(universal human rights)という自由主義の考えも、友敵関係を否定するものとして拒絶した。

2016年11月7日月曜日

トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』

問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)
問題は英国ではない、EUなのだ 21世紀の新・国家論 (文春新書)

国家依存は個人の自立

日本語で「自立」とは、「他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと」(大辞林)を意味する。フランス語でも同じだろう。ところがフランスの高名な知識人であるはずの著者トッドは、それを無視し、おかしな議論を展開する。

核家族は「個人を解放するシステム」だが、「そうした個人の自立は、何らかの社会的な、あるいは公的な援助制度なしにはあり得ません」と著者はいう。自立は援助なしにありえないとは、言葉の定義に反する珍妙な主張である。全体主義を描いたジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する標語「自由は隷属である」を思わせる。

著者は、「ネオリベラル革命」は国家による個人の援助をなくして「個人が家族に頼らざるを得ない状況」を作り出し、「個人の自立」を妨げているという。家族に頼るのは自立に反し、国家に頼れば自立とは、これまたわけがわからない。

家族、親族、部族は個人の自由を縛る場合もある。だからといって、個人が国家に助けてもらう必要はない。そもそも国家は自前の財産がないから、人を助けることはできない。真の自立を築くのは、市場取引を含む個人間の自発的協力だ。

米国で1935年、ルーズベルト大統領が社会保障を導入し、その後の繁栄の礎になったと著者は述べる。因果関係があべこべだ。米国は経済が比較的自由だから繁栄し、そのおかげで社会保障を維持できたのである。政府は富を生まない。

以前の共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』では、著者は真の問題がネオリベラリズム(新自由主義)ではなく、官民癒着の縁故資本主義であることを正しく認識していた。ところが今回の本ではそれを忘れたかのように、言葉の定義を無視してまで、俗耳に入りやすいネオリベラリズム批判を繰り返す。残念である。

2016年11月6日日曜日

〔翻訳〕悪いのはグローバル化か

Patrick Trombly, Central Banks Have Robbed Us Of the Benefits of Free Trade(中央銀行は自由貿易の利益を盗んだ)より抜粋。

能率が改善すると、通貨量など他の条件が一定なら、物価は必然的に下がる。だが実際には通貨量は一定でなかった。ほとんどの中央銀行は「デフレと戦う」(fight deflation)ために、2%の物価上昇率を目標に、通貨量を大幅に増やした。

もし中央銀行のインフレ政策がなければ、グローバル化で物価は下がり、実質所得(real incomes)を高めただろう。その結果、人々はグローバル化に不満を抱くのではなく、満足したはずだ。

物価が下がらなかったのは、中央銀行がデフレ阻止に成功したことを意味する。しかしそれは実質所得の増加を妨げたということだ。一方、金融緩和政策は世界中で不動産と商品価格のバブル(bubble)、株式・債券相場の高騰を招いた。

中央銀行の主張に反し、デフレは経済にとって脅威ではなく、恩恵である。米ミネアポリス連銀のエコノミストが書いた2004年の論文によれば、歴史上、不況と物価下落の間には相関関係(correlation)がなく、まして因果関係(causal link)の印はなおさらない。

中央銀行はデフレの「死の連鎖」(death spiral)とやらを防ごうと貨幣量を増やしたものの、経済の力学に逆らうことはできなかった。その結果、資産価格が高騰する一方で実質所得は減り、労働者は憤っている。

2016年11月5日土曜日

山田正彦『アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』

アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!
アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!

管理貿易の正体

環太平洋経済連携協定(TPP)を巡る議論は混乱している。推進派は「自由貿易だから良い」と主張し、反対派は「自由貿易だから悪い」と批判する。どちらも正しくない。TPPは官民癒着の管理貿易で、だから国民の利益にならない。

本書も混乱している。せっかく経済学者スティグリッツの「TPPは自由貿易協定ではない……管理貿易協定だ」という的を射た発言を紹介しながら、あちこちで自由貿易そのものに対する反対論を繰り広げ、経済への無理解を露呈する。

5キロ1000円前後の安いベトナム産コシヒカリがスーパーで売られたら日本でコメを作る農家はなくなるとして、著者は輸入に反対する。高いコメを買わされる消費者の不利益には触れない。これで貧困層の生活苦を嘆くのはおかしい。

一方、TPPの問題点を正しく指摘する箇所もある。ジェネリック医薬品が特許権を侵害しないか確認できる新制度により、特許権が切れても安価なジェネリックの販売が長期間認められない恐れがある。米製薬大手の圧力が背景にある。

TPPでは著作権や商標の権利期間が50年から70年に延長され、法定賠償制度で侵害時に賠償額が巨額になる恐れもある。そのうえ非親告罪となり、被害者が訴えなくても警察が乗り出す。自由な創作や著作、報道が萎縮しかねない。

政府はTPP加盟国域内での貿易量が増えると強調するが、米タフツ大学の指摘によれば、域外との貿易減少のマイナス面が考慮されていないという。本書は自由貿易に対する誤った反対論が目立つものの、管理貿易の正体を知るうえで有益な情報も多く、一読の価値がある。

2016年11月4日金曜日

〔翻訳〕千年前のイノベーター

Jeffrey Tucker, The Greatest Invention of One Thousand Years Ago(千年前の最も偉大な発明)より抜粋。

11世紀初め、カトリックのベネディクト会修道士、グイド・ダレッツォ(Guido d’Arezzo)は楽譜と音階を考案し、音楽の教育と記述を可能にした。グイドの貢献がなければ、現在スマートフォンやユーチューブで聴く音楽は存在しなかっただろう。

昔から音楽教育を担っていたのは、一握りの教師らの傲慢なカルテルだった。音楽教師になるには、このうち誰かの弟子になり、承認(blessing)を得なければならない。教師は同業者の数を増やしたがらないから、おべっかも必要だった。

グイドの発明はカルテルをぶち壊した。グイドが一番やりたかったのはグレゴリオ聖歌(Gregorian chant)を楽譜に記すことである。聖歌がカルテルの口伝によってしか伝えられないことに不満を抱いていたからだ。歌が失われてしまわないか心配だった。

グイドはあらゆる偉大な革新者(great innovator)と同じことをやってのけた。資源を他の用途に解き放ち、しかも生活を向上させた。修道士を一人の音楽教師の下で強いられる果てしない学習から解放し、より純粋な精神生活に時間を割けるようにした。

修道院は発明を祝うどころか、グイドを雪の中に放り出した。権力を失いたくない音楽教師らがそう要求したのである。グイドは発明に感心したローマ教皇(Pope)の紹介でアレッツォの司教を訪ね、そこで仕事を続けることができた。

2016年11月3日木曜日

ロビンズ『経済学の本質と意義』

経済学の本質と意義 (近代社会思想コレクション)
経済学の本質と意義 (近代社会思想コレクション)

「経済人」の神話

経済学は金儲けと利己心のみに関心がある「経済人」の世界を仮定しているが、それは現実離れしている。人間は金儲けや利己心以外の動機でも動くのだから――。一部の知識人はしばしば、経済学をこう非難する。この非難は正しくない。

本書で著者が説くとおり、経済学が仮定する人間は利己主義者とは限らない。「純粋に利己主義者、純粋に利他主義者、純粋に禁欲主義者、純粋に官能主義者にもなりえて、もっとありそうなことだが、こうした衝動の混合体にもなりえる」(p.88-89)

人はパンを買うとき、損得だけでなく、パン屋の幸福も考えるかもしれない。賃金の多寡よりは、やり甲斐で仕事を選ぶかもしれない。金を貸すとき、名誉や美徳を考慮するかもしれない(p.89)。それでもこれらの行動は経済学の対象になりうる。

かりに人間の大半が聖職者のような利他主義者、禁欲主義者になっても、経済学は不要にならない。ワインを作る葡萄園の地代が下がり、聖職者の石造建築に使う石切場の地代が上がる(p.27)。この現象は、経済学を知らなければ理解できない。

経済学は金儲けが唯一の行動要因とは考えない。そもそも金儲けそのものは目的にならない。目的は儲けた金で何かを買うことである。だから金銭そのものに執着する守銭奴を例外として、金儲けは目的にはならず、単に手段でしかない(p.32)。

2016年11月2日水曜日

〔翻訳〕金約款の復活を

Jp Cortez, Bring Back the "Gold-Clause Contracts"(金約款契約を復活せよ)より抜粋。

金約款契約(gold-clause contract)とは、支払いを金や銀で行う旨を明示し、それ以外での支払いを認めない契約である。かつて米国ではよくある契約だった。それがフランクリン・ルーズベルト大統領(任期1933~1945年)の時代に禁止された。

ルーズベルトは大恐慌(Great Depression)から抜け出すため大量の資金を必要としたが、当時政府は紙幣の裏付けとして発行額の40%分の金を保有するよう義務づけられていた。そこでルーズベルトは解決策を講じた。国民から金を没収するのである。

政府が国民の金を手に入れれば、より多くの紙幣を刷ることができる。1933年、ルーズベルトは大統領令6102号を発し、5オンス超の金保有を違法とした。議会は両院合同決議(joint resolution)で、連邦裁判所が金約款を遵守させる権限をなくした。

この非道な大統領令(executive order)は1974年まで有効だった。同年、フォード大統領が署名した法律により、金保有は再び合法になり、連邦裁が金約款契約を遵守させることも認められた。

金約款契約はある意味で、法定通貨(legal tender)の鎖から人々を解き放つ。支払い手段を明示すれば、貸したカネを返してもらう際、(インフレで価値の落ちた)米ドル紙幣で受け取りを強いられずに済む。合衆国法典により、金約款は完全に合法である。

2016年11月1日火曜日

ヒース『資本主義が嫌いな人のための経済学』

資本主義が嫌いな人のための経済学
資本主義が嫌いな人のための経済学

恐慌の犯人は資本主義か

自由放任的な資本主義を批判する知識人はしばしば、それがうまく機能しない「証拠」として金融恐慌をあげ、恐慌を防ぐには政府の介入が必要だと論じる。その議論は正しくない。そもそも金融恐慌をもたらすのは政府の介入だからである。

本書もその誤りを犯す。著者は自由放任を唱えるリバタリアンを批判し、政府の介入が限られた19世紀の資本主義は「ろくに機能しなかった」(p.46)という。たとえば1870〜1900年に米国経済は景気循環を繰り返し、多数の銀行取り付けと5回の金融危機があったと述べる。

そのうえで著者は、米政府が「資本主義制度の大幅な改造」(同)に取り組んだとして、1914年の連邦準備制度創設、1933年の連邦預金保険公社設立を例にあげる。その結果「昔ながらの取り付け騒ぎはほぼなくなった」(同)と高く評価する。

しかしまず、景気循環の主因は政府自身にある。南北戦争(1861~65年)の戦費調達で米政府は1861年に金本位制を停止。バブル景気の反動で1873年恐慌をもたらす。それでも政府の介入が少ないおかげで、回復は早かった。

次に、著者が称える連邦準備制度は1920年代に過剰なマネーを供給し、史上最悪の大恐慌の端緒を開いた。同じく預金保険は銀行のモラルハザード(自己規律の喪失)を誘発し、放漫経営を助長した。その結果が1980~90年代の貯蓄金融機関(S&L)破綻である。救済のコストは納税者がかぶった。

左派の平等主義に対する批判など賛成できる主張はあるものの、上記のようにリバタリアンに対する批判は的外れなものである。著者は哲学者だそうだが、この程度の議論で「政府の介入は絶対に必要」(p.50)などと断言するのは、いささか不用意に思える。

2016年10月31日月曜日

〔翻訳〕人口爆発は怖くない

Jonathan Newman, Inferno and the Overpopulation Myth(映画『インフェルノ』と人口過剰の神話)より抜粋。

18世紀英国の経済学者マルサス(Thomas Malthus)は、人口が急成長する可能性を問題視した。もし人口が生存の手段より速く増加したら、貧困や悪をもたらすのは必死と考えたのである。しかし恐れる必要はない。

地球上には人の住んでいない土地がたくさんある。マルサスは先入観(biased perspective)から、大都市の過密地域ばかり見ていたに違いない。

人口増加が意味するのは、物を食べる人が増えることだけではない。考え、働き、物をつくる人が増えることでもある。人口が増えれば増えるほど、さまざまな技能(variety of skills)が発達し、より効率よく生産できるようになる。

マルサスの時代、人間は生きるのがやっとだった。しかし21世紀の現在、世界人口の増加にもかかわらず、極度の貧困(extreme poverty)は減少している。一人あたりGDPは産業革命以降、劇的に増大している。

今では世界中のコンピューターがインターネットで結ばれ、ポケットに収まるほど小型化した。人間の生産性(human productivity)は五十年前でさえ想像できなかったほど向上している。マルサスが現在の世界を見たら、自説を放棄するに違いない。

2016年10月30日日曜日

コイル『GDP』

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史
GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史

大きな政府のイデオロギー

GDP(国民総生産)の数字がわずかに増えたり減ったりするだけで、政治家や評論家は一喜一憂してみせる。あまり真に受けないほうがいい。本書を読めばわかるように、GDPは国民の経済的な豊かさを必ずしも示さないからである。

GDPは1920〜30年代の英米で生まれた。米国では経済学者クズネッツが政府の依頼を受け作成する(この業績によりのちにノーベル経済学賞を受賞)。大恐慌で国民所得が半減したという衝撃的な報告をまとめ、ルーズベルト政権が経済対策を推し進めるうえで大きな力となった(p.19)。

ただし、クズネッツと政府には意見の対立があった。クズネッツは国民の経済的な豊かさを測定するには軍事費を差し引くべきだと主張した。政府はこれに反対した。「政府の軍事支出が国の経済を縮小させてしまっては都合が悪いからだ」(p.20)

結局クズネッツは政治的争いに敗北し、政府が勝利した。クズネッツは政府のやり方を「政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているにすぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」(p.22)と批判した。

現在、GDPは軍事費に限らず、社会保障などあらゆる政府支出を価値あるものとみなして加算する。だから政府支出を増やせば、仕組み上、経済成長率は高まる。それは政治家には好都合でも、人々の経済的な豊かさを示すとは限らない。

著者はGDPを必ずしも否定するわけではない。それでも本書は、中立公正であるかのように見えるGDPが、実は大きな政府を肯定し、促進する政治イデオロギーと密接に結びついている事実に気づかせてくれる。

2016年10月29日土曜日

〔翻訳〕貿易協定は自由貿易にあらず

Carmen Elena Dorobăț, Trade Agreements or Political Independence: A False Choice(貿易協定か政治的独立か――偽りの選択)より抜粋。

政府間の貿易協定(trade agreements)は、自由貿易と同じではない。それどころかその意図は、貿易をやりにくくしてコストを上げ、消費者を犠牲にして特定の親密な利益団体を厚遇することにある。

だから貿易協定の交渉や批准には長い時間がかかる。政治工作(political maneuvering)や妥協によって、異なる産業・農業団体の相反する利益を満足させなければならないからだ。それでいて政府は自由貿易の理念を守ったと得意顔になる。

自由貿易が広まり、持続するのは、大衆の求めによって下から起こったときだけだ。政府の上からの(top down)介入は、たとえ「善意」からであろうと、自由貿易を広める助けにはならない。

それどころか貿易協定を押しつけ、国民に抵抗された場合、自由貿易の目的に大きな悪影響を及ぼす。自発性を損なうし、経済にひずみが生じ、それは関税や規制(tariffs and regulations)をなくしたせいだと非難される。

政府は貿易交渉にかかわらないのが産業と消費者(industry and consumers)のためだ。政府が消費者と企業の代わりに契約したり、消費者と企業の契約に加わったりすると、将来必ず、無数の介入を許すことになる。

2016年10月28日金曜日

水野和夫『過剰な資本の末路と、大転換の未来』


それは資本主義の害悪か

資本主義を批判し、その終焉を望む言論が流行している。しかし、そうした言論の多くに共通した誤りがある。政府の政策や規制がもたらす害悪を資本主義の弊害だと取り違え、資本主義を非難することだ。本書もその誤りを犯している。

著者は米金融市場における派生商品取引の膨張を取り上げ、資本主義を批判する。しかしそもそも派生商品取引が広まったのは、著者自身が記すとおり、政府が金とドルの交換を停止した結果、ドルの下落をヘッジする必要が生じたからだ。

福島原発事故が大惨事となったのは、「より合理的に」という発想から無駄なコストを削り、津波対策を怠ったからだと著者はいう。だがそれは政府とその影響下にある東京電力の近視眼的判断であり、資本主義の合理精神にむしろ反する。

著者は、資本主義は過剰や過多をもたらすとして、空き家の増加を例にあげる。しかし空き家問題の主因は「更地にすると固定資産税の負担が増す」「建築基準法の規制で建て替えが認められない」といった事態を招く政府の税制や法制だ。

一方で著者は、資本主義は必要なところに物やサービスを届けられないとして、世界における栄養不足問題を例にあげる。だがアフリカなどの飢餓の多くは、政治的混乱のせいで食料のサプライチェーンが整備されないため起きている

原発事故を繰り返してはならない、世界から飢えをなくしたいという著者の願いには共感する。しかしもし資本主義を終わらせれば、その願いがかなえられることは決してないだろう。経済的な資源を本当の意味で効率よく使い、社会を豊かにするのは自由な資本主義であり、政治家や官僚ではないからだ。

2016年10月27日木曜日

〔翻訳〕民泊に牙むく縁故資本主義

*Brittany Hunter, New York Declares War on Homesharing(ニューヨーク、民泊に宣戦布告)より抜粋。

ニューヨーク州のクオモ知事(Governor Cuomo)は老舗ホテル業界に屈伏し、米国で最も厳しい民泊規制法案に署名した。ニューヨーク市内での民泊は事実上禁止される。

ニューヨーク市のホテル業界はここ数年、記録的な落ち込みを見せてきた。これはAirbnb(エアビーアンドビー)のような民泊サイトの人気と直接関係がある。……業界は経営革新に奮起するのでなく、縁故主義(cronyism)に走り、知事に圧力をかけ競争を制限させた。

ニューヨーク市ではすでに、集合住宅の住民が30日未満の短期滞在のために部屋を貸し出すことを禁止している。今回の新規制では、住民が自分の住居を民泊サイト(homesharing websites)に載せるだけで、1000~7500ドルの罰金の対象となる。

ホテル業界(hotel industry)は新規制成立を競争相手に対する勝利とみなすかもしれないが、本当の犠牲者はニューヨーク市の住民だ。米国一物価の高い街に住んでいるのに、民泊で収入をカバーできなくなるのは非常に痛い。

専門家はこうコメントする。「州当局はAirbnbを叩きつぶしてホテルの労働組合(hotel unions)を喜ばせようと、死に物狂いだ。おかげで20億ドル分もの経済活動が失われた。それは生活費の捻出に必死な市民に恩恵をもたらすのに」

2016年10月26日水曜日

長沼伸一郎『経済数学の直観的方法』

経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)
経済数学の直観的方法 マクロ経済学編 (ブルーバックス)

現代経済学は裸の王様

現代の経済学は数学を多用する。記号や数式で埋め尽くされた論文を見ると、まるで物理学のように高度な科学だと思うかもしれない。だが本書を読むと、必ずしも著者の意図ではないものの、きらびやかに飾り立てた「社会科学の女王」が裸の王様にすぎないことがわかる。

著者が指摘するとおり、経済数学は「物理や天体力学の世界で成功した数学技法で使えそうなものを寄せ集めて作られた」。だから宇宙の神秘を背後に感じさせる物理数学と違い、全体を見ても「何か明確なストーリーが見えてこない」。

19世紀後半、ワルラスやパレートは経済学に微積分を応用し、「ニュートンの業績に比すべきもの」と称賛された。だが著者によれば、同意する理系研究者は少ない。オリジナリティが感じられないうえ、肝心の微分方程式をほとんど駆使できていないからだ。

天体力学には天体が3個以上になると問題が解けなくなる弱点があり、「太陽と地球」「太陽と木星」のように2個ずつの問題に分けて近似値を求めた。太陽の引力だけが桁外れに大きい特殊要因のおかげで、惑星間の引力を無視できた。

しかし経済学の場合、個々の現象をつなげた誤差は巨大になりかねない。このためケインズは数学の使用に否定的だった。「彼の方が遥かに数学に熟達していて、問題の本質を見抜いていた」と著者は書く。ケインズは数学科出身だった。

著者は経済数学を否定しているわけではない。肯定したうえでその攻略法を説いている。しかし物理学の学識を生かし、経済学と距離を置いた立場で自由に書いているために、飾りにすぎない数式を身にまとった現代経済学のお粗末な正体をはしなくも暴いた。一種の奇書といえる。