2016年7月16日土曜日

栗原康『現代暴力論』



国家は収奪者

国家とは何か。有無をいわさずに、税をむしり取る。警官を使って人に恐怖と恥辱を与え、無理やり言うことを聞かせようとする。つまり「収奪とカツアゲ」を事とする、暴力的な存在である。著者はそう喝破する。

著者はアナーキスト大杉栄や彼が参考にした社会学者グンプロビッチの議論に基づき、国家の本性を暴いていく。国家の起源は戦争である。武力で勝った部族が負けた部族を支配する。敗者は勝者の奴隷となり、労働を強いられる。

人が人を支配する構造は今も変わらない。議会制でも一握りの議員が政治の意思決定を独占する。では、どうするか。「あらゆる収奪を拒否すること。税金なんてはらわない」と著者。しかし同時に、それが「むずかしい」と認める。

なぜ難しいか。法律や教育によって、税金を払わないことが「わるいこと」だと思い込まされているからだ。逆に、納税して「あなたはすばらしい市民だ」などとほめられると、うれしくなってしまう。大杉栄はこれを奴隷根性と呼んだ。

社会を変えなければならないと多くの言論人は語るが、いずれも表面的で、問題の根本に触れようとしない。自発的な労働まで奴隷と同一視するなど賛同できない部分はあるものの、収奪者という政府の本性を恐れず暴く本は他に少ない。

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