2016-08-23

マルクス&エンゲルス『続・資本論』(まんがで読破)


ダイヤの価値は労力のおかげ?


マルクス経済学で経済を理解することはできない。商品の価値とは何か、正しく説明できないからだ。マルクスとエンゲルスからわけのわからない解説を聞かされて理解できなくても、落ち込まなくていい。悪いのは彼らなのだから。

『資本論』によれば、商品の価値は二つある。エンゲルスは冬山で遭難し飢えた人にパンとダイヤモンドを見せ、どちらが欲しいかと尋ねる。もちろん答えはパンだ。このように人の価値観や状況で決まる価値は「使用価値」だと言う。

一方でエンゲルスは、ダイヤモンド1個の価値はフランスパン1万個に等しく、それはダイヤ1個の生産にかかる労働者の人数や時間がパンよりはるかに多いからだと言う。このように注がれた労力で決まる価値は「交換価値」だと言う。

これらの説明はおかしい。ダイヤの交換価値はパンよりはるかに高いとエンゲルスは言うが、もし飢えた遭難者がたまたまポケットにダイヤを持っていたら、きっとダイヤを手放し、パンと交換するだろう。価値はつねに主観で決まるのだ。

ダイヤには探鉱・採掘・加工などの労力が注がれるから価値が高いと言うけれども、最も重要な、炭素からダイヤが生まれる過程で人間の労力はかからない。価値に関する『資本論』の混乱した考えを信じる経済学者は、今では誰もいない。

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