2016年11月27日日曜日

水野和夫『株式会社の終焉』

株式会社の終焉
株式会社の終焉

寛容の強制?


「寛容」とは、「心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと」(大辞泉)を意味する。この正しい意味であれば、寛容になろうという主張には大賛成だ。ところが本書では逆の意味で使われる。

著者は本書で、近代が終わりを告げる21世紀の原理の一つは「より寛容に」だと述べる。これが正しい意味の寛容であれば、結構なことである。ところが著者によれば、現在求められる寛容とは、具体的には「応分の税を企業も個人も負担すること」だという。

なぜ「応分の税」の負担(つまり増税)が寛容なのか。著者によれば、寛容主義のもっとも象徴的なのは贈与だが、国全体が危機に陥っているとき、個々人の善意に頼っていてはうまくいかないからだという。いわば寛容を強制するわけだ。

しかし強制された寛容は、もはや寛容の名に値しない。カントが述べたように、道徳的行為は自由意志に基づかなければならないからだ。そもそも、これ以上税を払いたくないという考えを否定する著者の発想自体、寛容の精神に反する。

著者はまた、新たな時代に対応するため、企業は減益計画を立て、現金配当をやめて現物給付にせよと提案する。そんな会社に誰が出資するか疑問だが、試すのは自由である。ただし強制だけはやめてほしい。それは寛容の精神に反する。

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