2016年12月17日土曜日

猪木武徳『自由の思想史』


社会に統治は必要か

国家と社会は違う。国家は強制で成り立つが、社会は自発的な協力に基づく。民主主義は国家の一形態で、市場経済は自発的交換だから、両者は異質だ。だから副題で「市場とデモクラシー」を一緒くたにする本書には奇妙な記述が目立つ。

著者はトマス・アクィナスに基づき、人間が生まれつき社会的な群生動物だとすれば、その集団を舵取る「統治」は不可欠だと述べる。これは国家と社会を混同した議論だ。国家には強制による統治が必要でも、自発的な社会にはいらない。

おかしなことに、著者は別の箇所ではハイエクを踏まえ、社会が自発的な交換だけで成り立つことを強調している。「経済社会では、市場での売買(交換)が、利害対立や抗争(盗みや略奪)を非人格的な力で調整する共同体を成立させる」

また著者はケインズを引き、株価は「多数の無知な個人の群集心理の結果となる世間的評価」だから、必ずしも実質的な投資価値と一致しないと書く。しかしこれも、著者が肯定的に紹介する、ハイエクの市場価格に関する見解と矛盾する。

ハイエクによれば、市場経済で、個人は経済に影響を及ぼすさまざまな事象に無知でもさしつかえない。それらはすべて市場価格に集約・反映されるからだ。政府が金利株価自体を歪めない限り、株価は実質価値から極端に離れはしない。だから民主主義の下で選ばれる政治家と政策が人々の考える価値と必ずしも一致しないことを、株式市場の譬喩で論じる著者の議論は正しくない。

本書には個別に興味深いエピソードはあるものの、それら相互の関係を掘り下げないまま終わる。このような総花主義は、著者自身が強調する「真理に近づく」態度にふさわしくない。

0 件のコメント:

コメントを投稿