2017年4月2日日曜日

利潤制限の愚論

企業は株主のためだけにあるのではない、社会的な責任をわきまえて経営せよという、もっともらしい主張をよく耳にする。いわゆる「企業の社会的責任」論である。しかしこれは自由主義経済の根本を理解しない愚論でしかない。

元航空幕僚長で軍事評論家の田母神俊雄は『いまこそ情報戦争を勝ち抜け!』(宝島SUGOI文庫)でこう書く。「ある種の公共心で(企業に)資金を投じたのが昔の日本人である。すなわち企業に投資するという行為は、社会的な責任をも背負うという気概を持っていた。……日本の企業は経営責任者のものではない。もちろん株主だけのものでもなく、従業員とその家族、さらには企業が存在する地域社会のものなのだ」

しかしもし田母神が主張するように、「社会的責任」を考慮して株主の利益を制限すれば、何が起こるだろうか。せっかく企業に出資してもそれに見合うだけの利益が得られないのであれば、金を出す者はいなくなってしまうだろう。実際、過去に多くの失敗例がある。

たとえば昭和八年三月一日に発表された満州国経済建設要綱は、「従来の無統制なる資本主義経済の弊害に鑑み、これに所要の国家的統制を加え、資本の効果を活用し、もって国民経済全体の健全かつ発剌たる発展を図らんとす」とし、配当を制限し、利潤追求を否定した。しかしこれでは資本家が投資するはずがない。「王道楽土」を謳った満州国は、関東軍による建国から五年たっても産業開発が進まなかった。

満州生まれの作詞家なかにし礼によれば、「日本政府の用意した土地は未開墾のところが多く、開墾された土地の多くは現地の農民から奪い取ったものだった」。このため「現地では紛争が続出した。土地を奪い返しにくる現地の人を、軍が出動して追い払う。時には撃ち殺す」という有様だった(『歌謡曲から「昭和」を読む』NHK出版新書)。経済の仕組みに無知な関東軍が、社会的正義を実現するには利潤の制限が必要だと浅はかにも信じ、それを実行した結果、社会に無用の混乱をもたらしたわけである。

経済学者ミルトン・フリードマンは、企業の社会的責任などというあやふやな概念に惑わされず、明確にこう言いきっている。「企業経営者の使命は株主利益の最大化であり、それ以外の社会的責任を引き受ける傾向が強まることほど、自由社会にとって危険なことはない」。利潤を否定し制限した社会を待つのは、満州国のような混乱、暴力、貧困である。

「企業の社会的責任」論は、田母神のような右翼だけではなく、左翼も主張する。そして右翼も左翼も、フリードマンを「市場原理主義」の親玉として忌み嫌う。それは左右を問わず国家主義者は経済に無知で、自由を憎んでいるからなのである。

(2013年10月、某ミニコミ誌に寄稿)

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