2017年5月13日土曜日

愛宕松男・寺田隆信『モンゴルと大明帝国』


通貨発行権の誘惑

政府に通貨発行権を与えるのは、浪費家にクレジットカードを渡すようなものだ。その運命は破産である。政府内に通貨の濫発を戒める人物が一部いたとしても、労せずして通貨を入手できる誘惑には結局勝てない。

勇猛なモンゴル帝国が中国に打ち立てた元朝も、例外ではなかった。通貨発行益(シニョレッジ)に味をしめて交鈔と呼ばれる紙幣を大量に発行するようになり、最後は財政が破綻し、滅亡に至る。以下、抜粋。

「漢地大総督」フビライの主宰する政権が漢地に拠って独立し、元朝が実質的に誕生した年、すなわち中統元年(一二六〇)に、政府は、「諸路通行中統元宝交鈔」という法定紙幣七万三千錠を発行した。略して「中統鈔」といわれる…。(p.173)

民間における金銀の自由取引を禁じ、ただ官庫においてだけこれを許すという法令の下に、金銀と交鈔との兌換権を政府が握り、兌換にともなう一定の利鞘を独占できた。(p.178)

ついに幣価下落の対策を講ぜざるをえなくなった。…五分の一までに低下した中統鈔の実質を認めたうえで、その五倍の価値を〔新紙幣の〕至元鈔に賦与し…もう一度振り出しにもどった形で再出発をしようというのであった。(p.180)

政府は塩価(四百斤単位)を…値上げするほか、茶課・商税といった現金収入の項目にも増額を命じ、かたわら、百官の俸給を至元鈔給付に切り換え、至元鈔本位の態勢を整えて再出発に臨んだのである。(p.181)

元末の動乱が河南から江南に蔓延するのは順帝の中期以降であるが、この段階では、ひとり幣制だけではなく、元朝の制度一般が硬直し瓦解する。…財政の崩壊が元朝滅亡の致命傷となるのである。(p.182)

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