2017年8月27日日曜日

新自由主義批判の嘘

昨今、右からも左からも目の敵のように批判される「主義」といえば、「新自由主義」である。ところがその批判の中身は矛盾だらけで、支離滅裂を極める。

たとえば経済アナリストの菊池英博は『新自由主義の自滅』(文春新書)で、新自由主義の特徴の一つとして「市場万能主義」を挙げる。「自由な市場は、価格機能によって、資源の最適配分ができるようになるので、富をもっとも効果的に配分できる」「その目的を貫徹するために経済活動を可能な限り自由にすべきである」という考えだという。

ところが菊池は一方で、新自由主義のもう一つの特徴として「金融万能主義(マネタリズム)」を挙げる。「景気対策は金融政策によるべきである」という考えである。しかし金融政策とは、金利水準を金融機関の自由な取引に任せず、政府が操作する行為を指す。これは最初の特徴である市場万能主義と矛盾する。

また、菊池は新自由主義の別の特徴として、「小さい政府」の主張を挙げる。政府機能を縮小して富裕層に減税し、社会保障制度を否定する考えだという。そしてその代表例として、1980年代米国のレーガン政権を挙げる。

しかしレーガンは、富裕層減税を行なったかもしれないが、一方で軍事費を大幅に増やした。これは菊池自身がいうように、軍事支出という公共投資によって需要を創出し雇用を増やそうとする「軍事ケインズ主義」であって、小さな政府の理念に反する。

そもそもレーガンが政府を小さくしたというよく語られる説は、じつは嘘である。レーガン政権下で政府債務は3倍近くに増えた。連邦政府職員数は32万4000人増加し、530万人となった。しかも増加人数に占める軍関係者の割合はおよそ4分の1にすぎず、軍以外の職員は増えている。小さいどころか、きわめて「大きい政府」である。

挙句の果てに菊池は、「新自由主義者は自らの主張と目的を達成するために権力と結託し……結局『大きい政府』を作り、自らの利権を守る」と書く。真の狙いが大きい政府を作ることなら、新自由主義は小さい政府を目指すという最初の記述は何だったのか。目的を達するために権力と結託するのなら、新自由主義は市場万能主義という主張は嘘ではないか。

菊池は、これこそ「新自由主義者のまやかし」だと書くが、自分の頭が混乱しているだけであろう。新自由主義などという、左翼が市場経済を攻撃するためにでっち上げた好い加減な概念によりかかって物を書こうとすれば、そうなるのは当然である。けれども笑い話では済まない。こんなお粗末な議論でも、市場経済の評判を貶める効果はあるからである。

(2015年10月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年8月13日日曜日

歴史を押しつける者

戦後七十年を機に、「敗戦国史観」への批判があらためて強まっている。曰く、戦後日本人が教えられてきた左傾的な近現代史は、米国および連合国軍総司令部(GHQ)が方向を定めたものであり、戦争の勝者による歴史の押しつけである。したがってこれを克服し、まっとうな歴史観を取り戻さなければならない、という。しかし歴史を押しつけた勝者は、米国やGHQだけではない。

作家の原田伊織は著書『明治維新という過ち』(改訂増補版、毎日ワンズ)で、この百年以上、日本人が公教育によって教え込まれてきた「明治維新があってこそ日本は近代化への道を歩むことができた」という歴史観は、徳川幕府を倒した官軍、すなわち長州・薩摩という勝者の都合に合わせたものにすぎないと批判する。

たとえば今も学校で教える日本史によれば、嘉永6年(1853年)にペリーの黒船が来航し、その武力威圧に屈して幕府はついに開国したとされる。ところが実際には幕府は天保13年(1842年)に薪水給与令を発し、実質開国している。幕府はペリー来航前から浦賀などで米国と接触してもいた。

劣らず歪曲が甚だしいのは、討幕に功労のあった薩長土肥の下級武士たち、いわゆる「勤皇の志士」の美化である。彼らの実像は「現代流にいえば『暗殺者集団』、つまりテロリストたちである」

とくに悪質だったのは長州の「志士」で、京都において、幕府の役人や、幕府に協力的とみた商人、公家の家臣、学者などを標的に略奪、放火、暗殺を繰り広げた。「彼らのやり口は非常に凄惨で、首と胴体、手首などをバラバラにし、それぞれ別々に公家の屋敷に届けたり、門前に掲げたり、上洛していた一橋慶喜が宿泊する東本願寺の門前に捨てたり、投げ入れたりした」

官軍は会津戊辰戦争の際も暴虐をきわめた。原田によれば、長州の奇兵隊は「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。家族の見ている前で娘を平然と輪姦し、家族が抵抗すると撃ち殺したという。

長州出身で明治時代に初の内閣総理大臣となった伊藤博文は、朝鮮の独立運動家・安重根に暗殺された。現在、日本政府は安重根を「テロリスト」とする立場である。しかしじつは伊藤自身、若い頃は志士という名の「テロリスト」であった。根拠の薄い噂にもとづき、江戸で国学者塙次郎を暗殺している(一坂太郎『司馬遼太郎が描かなかった幕末』)。

力を背景に歪んだ歴史観を押しつける者は、外国政府だけとは限らない。自国政府がまことしやかに語る歴史にも、同等以上の注意が要る。

(2015年9月、某ミニコミ紙に寄稿)

2017年8月6日日曜日

自滅する米国

集団的自衛権や環太平洋経済連携協定(TPP)を通じ、日本政府は米国と政治・経済的つながりをいっそう深めようとしている。まるで米国と組んでさえおけば、未来永劫安泰だと考えているかのようである。危うい態度といわざるをえない。頼りにしている米国自身、今にも滅びの坂を転げ落ちようとしているからである。

原著が米国でベストセラーとなった著書『コールダー・ウォー』(渡辺総樹訳、草思社)で投資戦略家マリン・カツサは、米国の没落がもはや避けられないと説く。鍵となるのは米ドルの価値である。

戦後、米国の覇権を支えてきたのは強いドルであった。ドルは世界中の取引で利用されたから、どの国も準備通貨として欲しがった。米国はドル札を刷るだけで、世界中から何でも欲しいものを手に入れることができた。巨額の軍事費も借金で賄うことができた。

しかしながら無から有を生み出すこの特権は米国を傲慢にし、肝心の経済力を衰えさせた。今では累積財政赤字は対GDP(国内総生産)100%を超え、製造業は衰退し、不況からの回復力も弱くなった。不況から脱しようと政府が金利を無理に押し下げたために、債券市場にバブルをもたらしている。

カツサは警告する。「この傾向が続けばドルは世界の準備通貨の地位を失うことになる。つまりドル資産は売りに出されるのである。そうなればドルの価値は暴落する」。ハイパーインフレの恐れに加え、債券相場の暴落で銀行に経営危機が広がる可能性もあるという。

これまでドルの価値を支えた大きな要因は、石油取引である。1970年代、米政府はサウジアラビアに対し、同国を防衛する見返りに石油販売をすべてドル建てにし、貿易黒字で米国債を購入するよう約束させた。他の産油国も追随し、世界の石油需要の増大とともにドル需要も増えた。

しかしこの構図は揺らいできた。サウジはイスラエルやイランとの関係をめぐり、米オバマ政権の外交に不満を募らせている。国内では反政府運動が収まらず、万が一現政権が倒れれば過激なイスラム教徒が同国を制し、石油でドルを支える仕組みは終焉を迎えるだろうとカツサは述べる。

カツサは米国に対抗するプーチン・ロシア大統領の戦略を詳述する一方で、こう指摘する。「仮にロシアと中国がドルへの挑戦を始めなくても、プーチンが何もせずぼんやりしていたとしても、アメリカは自らのドルの洪水に溺れることになる」

今年6月、ロシアの経済フォーラムにサウジが四年ぶりに参加し話題となるなど、両国は急接近している。世界が距離をおき始めた米国に日本だけが忠義立てしても、良いことはない。

(2015年7月、某ミニコミ紙に寄稿)