2017年3月31日金曜日

政府が医療をダメにする

次より抜粋。
Alice Salles, How the Government Ruined US Healthcare — and What Can Be Done
(政府がダメにした米国医療とその再生法)

1910年にタフト大統領(共和党)が米国医師会(American Medical Association)の圧力に屈して以来、大半の政権は医療に新たな規制を認めてきた。医療市場に対する法律や規制が増えた結果、1980年代のある時点で、国民は医療費の急騰に気づき始めた。

1972年、ニクソン大統領は必要証明制度(certificate-of-need)を導入して病院の新設を規制した。2年後、同大統領は医療労働組合の力を強めるため年金制度を見直し、病院経営者と納税者のコストを高めた。これは個人医院の合併と医療の寡占化を促す。

オバマケア(Affordable Care Act)によって医療コストはさらに上昇した。その結果、新たな医療プロ集団が近年の米国史上、最も大きな自由をもたらす革命を起こそうとしている。プライマリケア事業である。

プライマリケア医院(direct primary care clinics)の会員は平均でわずか月60ドル、夫婦で150ドル。規制による複雑な制度がないおかげで、患者は自分の健康にいくら払っているかはっきり知ることができる。医師と知り合いになることで、心の平安も得られる。

政府が医療に関与すると、すべてが数字や統計でしかなくなる。しかし官僚(bureaucrats)が正しい答えを知っていると思うのは間違いである。患者一人一人をうまく手助けできるのは、注意深い医師だけだ。数千もの新たな規制ではない。

2017年3月30日木曜日

吉川幸次郎『杜甫ノート』


兵役・重税への怒り

漢詩というと俗世を離れ、花鳥風月を優雅にめでるようなイメージが何となくある。しかしよく考えてみれば、中国最大の詩人といわれる杜甫は、そのような風流とは対照的な、きわめて社会的・政治的な題材を繰り返し取り上げた。

唐の繁栄をもたらした自由な市場経済は、やがて政府と商人が癒着する縁故主義に変質し、兵役や重税で庶民を苦しめる。本書が述べるとおり、杜甫はその社会悪を詩で告発した。訳知り顔の文化人などにならず、不正に対する怒りを生涯持ち続けたのである。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

杜甫の年齢でいえば三十ごろまでの時期は、唐王朝の最盛期であった。〔略〕国内の治安はよく保たれて、物価は安く、長安その他の都市は繁栄し、農村は平和であったと、杜甫は追憶している。(247)

宮廷を中心とする贅沢な都市の生活は〔略〕広東、四川など遠方の物資の輸入をうながしたが、それによって巨利を博した商人は、政商として官僚と結託し、政界を腐敗させた。(270)

「富民」たちは、王侯をもしのぐ生活をいとなんでいたが、科挙試験が開かれるたびごとに、受験生たちをわが邸にとめて歓待したという。それは有利な投資であった。受験生たちは、未来の大官の卵であったからである。(278)

無際限にひろがった唐の領土、乃至(ないし)は勢力範囲を維持するためには、大量の国境守備部隊が必要であった。そのため、農村は労働力をうばわれて、いよいよ疲弊し、軍需商人はいよいよ私腹をこやした。(280)

〔杜甫の〕自覚にあるものは、かずかずの社会悪への、詩による抗議であった。〔略〕長詩「兵車行」には、国境の守備にかり出される兵士とその家族たちの悲しみを、露骨に歌う。(301)

2017年3月29日水曜日

キャピタルゲイン課税の蛮行

Drew Armstrong, The Medieval Geniuses Who Invented Carried Interest and the Modern Barbarians Who Want to Tax It(中世の天才は成功報酬を発明し、現代の野蛮人はそれに課税したがる)より抜粋。

中世ベネチアで考案されたコレガンツァ(colleganza)とは、世界初の共同出資会社の一つである。投資家が仕入れと用船の資金を出し、商人が航海に出て商品を売り、外国製品を買って戻ってベネチアで売る。利益は契約に従い投資家と商人で分ける。

責任と報酬を分かち合うことで、ベネチア市民の多くが貿易で財を成すようになった。コレガンツァの仕組みがなければ、ベネチアの成功はなく、人々は階級制度(class system)に縛られたままだったろう。富は働けば手に入れられるようになった。

ベネチアの商人と同じく、今の米国企業もリスクを取る投資家がいなければ成長が止まるだろう。スタートアップ企業(start-up businesses)への投資はリスクが高い。過去百年以上、そのリスクはキャピタルゲインや成功報酬への軽い課税で相殺されてきた。

政府には成功報酬に普通の所得として課税を考える人々がいるが、それはおかしい。ベネチアの投資家(Venetian investors)のように、投資家は利益を得るまでに何年も待たされ、損をすることもある。キャピタルゲイン課税の税率が低ければリスクを取る意欲が強まる。

キャピタルゲイン課税の税率を一般の所得税並みに引き上げるのでなく、どちらの税率も下げなければならない。そうすれば投資家は米国企業に対する出資の意欲(incentive)が高まり、あらゆる人々に、より多くの雇用と富を生み出すだろう。

2017年3月28日火曜日

川上泰徳『「イスラム国」はテロの元凶ではない』


混乱の原因でなく結果

欧米でも日本でも、過激派組織「イスラム国」(IS)が中東の混乱をもらたす最大の原因のように思われている。しかしそれは正しくない。本書が指摘するように、「イスラム国」は混乱の原因ではなく、結果にすぎない。

混乱のそもそもの原因は、米政府が開戦理由をこじつけて始めたイラク戦争にある。「イスラム国」を武力で倒そうとすれば、同じ轍を踏むだろう。以下、抜粋。(数字は位置ナンバー)

イラク戦争は大義のない戦争であり、中東と世界を不安定にしたという認識は、米国内でさえ広く受け入れられている。〔略〕いままた欧米は「イスラム国」への対応で決定的に間違っているのではないか〔略〕。(624)

「イスラム国」がすべての問題を主導しているかのように、欧米や日本では受けとめられた。だが、「イスラム国」はイラク戦争後に起こった中東の混乱の産物だ、ということを忘れてはならない。(1884)

いま、欧米でも日本でも、「イスラム国」が中東の混乱を引き起こしている最大の原因のように思われているが、〔略〕「イスラム国」は第一義的には混乱の原因ではなく、混乱の結果なのである。(2665)

「イスラム国」が世界のイスラム教徒にテロを呼びかけるのは、米欧が「イスラム国」に対して「グローバルな対テロ戦争」として空爆を始めた後なのである。(2673)

「イスラム国」は、殊更に自分たちが欧米と敵対する構図を示すことによって、世界を分裂させようとしている。〔略〕米欧も安易な軍事的手段に訴えることによって「イスラム国」の肥大化に手を貸している。(2680)

2017年3月27日月曜日

資本主義の創造的刷新

Marco den Ouden, Don’t Call It Creative Destruction, Call It Creative Renewal(創造的破壊ではなく、創造的刷新と呼ぼう)より抜粋。

1967年、英労働党政権(British Labour government)は鉄鋼産業を「強欲な資本家ども」の手から取り上げ、国有化した。〔1980年代に〕サッチャー首相が再民営化してようやく、鉄鋼業は国際競争に復帰した。

生産性向上と国際競争の激化で、英米の鉄鋼業はひどく衰退したものの、世界の鉄鋼生産量(worldwide production of steel)は1967年以来、3倍になった。中国のシェアは2.8%から50.3%に拡大。米国の生産量は31.4%、英国は55.3%それぞれ減った。

各国鉄鋼業の盛衰は経済学者シュンペーター(Joseph Schumpeter)が名付けた「創造的破壊」という現象をくっきりと映し出す。シュンペーターの選んだ言葉は惜しまれる。「破壊」は否定的な意味合いが強く、富の創造という概念にふさわしくない。

酸素炉(oxygen furnace)の技術革新で多くの雇用が失われたが、鉄鋼生産は増加した。貧しかった国々が鉄を盛んに生産するようになった。取るに足りなかった中国、インド、ブラジル、トルコ、メキシコなどが大生産国になった。世界の富が増えた。

悲観論にもかかわらず、技術と市場経済は富全体を増やす。さもなければ、私たちは今でも馬車に乗り、ランプで読書をし、まきを割って家を暖めていただろう。資本主義はたゆみない創造的刷新(creative renewal)である。ありがたいことだ。

2017年3月25日土曜日

ガットマン編『なぜ平和か』


人道的戦争も人を殺す

米国がイラク戦争などで武力を使って非民主的政権を倒したのは、人道的に正しいとして擁護する意見がある。しかし戦争と人道は結局のところ相容れない。戦争によって殺されるのは非道な権力者だけではないからだ。

しかも本書に収録された論文で独立研究所のチャールズ・ペーニャ(Charles V. Peña)が指摘するように、国際法上は正当とされる、一般市民を攻撃対象としない戦争であっても事情は変わらない。以下、同論文より抜粋。(数字は位置ナンバー)

軍事力を使って人道的目的を達成しようとするのは、結局のところ逆効果である。なぜなら「戦争は人を殺す」という不変の事実を無視しているからだ。この事実は、軍隊が優れた能力で任務を果たした場合も当てはまる。(3776)

かりに米軍が完璧そのもので、誤爆や流れ弾、砲撃ミスで無辜の市民に一人の犠牲者も出さなかったとしても、戦争に勝てるかどうかはイラク軍の兵士をどれだけ殺傷するかにかかっている。(3783)

この点を人道的軍事介入の支持者はすっかり見落としている。独裁政権を倒すための「完璧」な戦争で、軍の攻撃対象を権力の源泉だけに絞ったとしても、人々は死ぬ。(3785)

死ぬのはすべて兵士だけで、武力紛争の伝統的な規範によれば「正当」な攻撃対象かもしれない。しかし兵士たちは父親であり、兄や弟であり、息子である。しかもその多くは徴兵され、自分の意志に反して兵役に服している。(3788)

米国が軍事力を使って非民主的な政権を倒すのは、偉大で道徳的な使命だと信じる人もいる。しかし当然ながら、戦争で父親や兄弟、息子を失った人々はそう考えないかもしれない。(3792)

2017年3月24日金曜日

機械化は労働者を助ける

David Waller, The Luddites Were Wrong Then and They're Wrong Now(機械打ち壊し運動は昔も今も間違い)より抜粋。

1820年代半ば、英マンチェスターの技師リチャード・ロバーツ(Richard Roberts)が自動のミュール紡績機を発明した。この機械には「アイアンマン(鉄人)」というあだ名がついた。まるで人間のように動き、考えるように見えたからだ。

アイアンマンを求めたのはマンチェスターの工場主(mill-owners)たち。仕事を人質代わりに賃上げを要求する労働者にうんざりしていたのだ。今と同じく、新技術開発の動機の一つは、コスト削減と厄介な労働者に頼らず済むようにすることだった。

大量生産で物価は劇的に下がり、社会全体に恩恵をもたらした。生活必需品(staple goods)は安くなり、労働者は余暇の時間が増え、骨の折れる手作業が減った。技術によって労働者には新たにより良い仕事が生まれ、賃金は上昇した。

作家カーライル(Thomas Carlyle)やディケンズ、カール・マルクスらは機械化を非人間的で精神の貧困につながると考えた。しかし人口は増加する一方で生活水準は改善が続き、経済は空前のピッチで成長し始めた。

技術革新(technological innovation)は大きな痛みを伴うかもしれないが、長期で雇用や豊かさを犠牲にするとは限らない。それどころか、新技術はさらなる革新につながり、まったく予想しなかったようなやり方で富と雇用を生み出す。

2017年3月23日木曜日

オースティン『高慢と偏見』


富の不平等、精神の平等

仏経済学者ピケティは著書『21世紀の資本』でオースティンの小説にしばしば触れ、そこで描かれた富の不平等を問題視する。しかしこのオースティンの代表作を素直に読めば、富の不平等は人間にとって真の問題でないと気づくはずだ。

舞台は18世紀末頃の英国の田舎。主人公エリザベスの一家は、父が地主だが大金持ちではなく、貴族より格下のジェントリー階級に属する。二十歳のエリザベスは聡明で正義感が強い。身分違いや家柄違いという言葉には怒りを燃やす。

この作品で最も感動する場面の一つは、甥との結婚を阻止しようと乗り込んできた貴族キャサリン・ド・バーグ夫人に対し、エリザベスが一歩も退かず渡り合うところだ(下巻、第56章)。「実際に結婚するかどうかを決めるのは〔略〕結婚する当事者です」

結婚しないと約束せよという夫人の要求を、エリザベスは毅然として「いくら脅されても、そんなばかな約束は致しません」と拒否する。夫人に干渉の権利はないと反論し、自分が幸せになる道を進むのに他人の指図は受けないと言い切る。

この場面が感動的なのは、若いエリザベスが身分や富の違いに臆することなく、対等な精神で夫人に立ち向かうからだ。オースティンは作中で富の不平等を問題にしない。人間にとって大切なのは精神の平等だと知っていたからに違いない。

2017年3月22日水曜日

ユダヤ人差別の警鐘

Steven Horwitz, Jews As the Enemies of the Enemies of Liberty(ユダヤ人は自由の敵の敵)より抜粋。

左右両翼によるユダヤ人差別(anti-Semitism)の原因は複雑だ。しかし共通するのはユダヤ人が歴史的にみて、資本主義、企業家精神、世界主義、移民の自由といった自由の重要な概念に関連付けられてきたことにある。

右翼左翼どちらにせよ、古典的自由に基づく社会秩序(social order)に大きな欠陥があると考える人々から、ユダヤ人は敵と見られやすい。ユダヤ人に対する脅威はたいてい、自由主義の基礎に対する脅威でもある。

ユダヤ人の多くは仲買人(middlemen)として働いた。生き方が遊牧民的で、世界のさまざまな地域に親しんだからだ。仲買人は昔から、経済に無知な人々に、形ある物を何も作らずに儲けていると疑われてきた。特に金融業者の場合はそれが甚だしい。

今日世界で経済ナショナリズム(economic nationalism)が台頭し、またぞろユダヤ人は勢いづく右翼の標的にされている。ユダヤ人はいつも根なし草の商人の象徴だった。移民、国際貿易、市場制度に対する反対がユダヤ人差別と結びつくのは不思議でない。

社会がユダヤ人をどう扱うかを見れば、寛容(openness)と自由の尊重の目安になる。炭鉱でカナリアを殺す有毒ガスは目に見えないが、ユダヤ人と自由主義に対する脅威は見える。自由社会の市民がその脅威を軽く見れば、ツケは自分に跳ね返る。

2017年3月21日火曜日

小黒一正『預金封鎖に備えよ』


政府のむきだしの暴力

政府の暴力性は日常ではあまり目立たない。だが財政破綻という非常事態に直面すると、それがむきだしになる。終戦直後の預金封鎖、通貨切り替え、財産税といった緊急措置がそれだ。しかも政府はぎりぎりまで財政は大丈夫と嘘をつく。

本書は一連の緊急措置を詳しく記す。ハイパーインフレに直面した政府は1946年、預金封鎖と通貨切り替えに着手。5円以上の旧銀行券をすべて銀行など民間金融機関に預けさせ、生活や事業に必要な額だけを新銀行券で引き出させた。

新たな税も導入する。柱の一つが財産税だ。国内に在住する個人を対象に、一定額を超える財産(預貯金、株式などの金融資産及び宅地、家屋などの不動産)に課税。最低税率25%で、1500万円超の財産には実に90%も課税された。

さいわい、「抜け道」はあった。預金封鎖を事前に察知して預貯金を大量に引き出して株券などに替えておき、新銀行券に切り替わって安定してから現金化した人々もいたらしい。財産税による資産没収も、貴金属なら隠せないことはない。

政府は開戦前夜の1941年に作成した小冊子で、「国債がこんなに激増して、財政が破綻する心配はないか」という問いに対し「全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです」と答えている。著者が言うとおり、「強烈な嘘」だ。

著者は上記の歴史の教訓を踏まえ、現在の財政危機に警鐘を鳴らす。それはもっともだ。しかし、財政を健全化するため消費税増税が必要との主張には賛成できない。消費税を含むあらゆる税は、預金封鎖や財産税ほど衝撃的でないかもしれないが、暴力による財産権の侵害である点に変わりないからだ。

財政再建は歳出削減のみによらなければならない。それが無理なら潔く破綻するしかない。痛みは避けられまいが、先延ばしすれば将来の痛みはさらに大きくなるだろう。

2017年3月20日月曜日

マーケティングと自由な社会

Eileen L. Wittig, Marketing Isn't Evil, It Makes Things Pretty(マーケティングは悪ではない。物をすてきにする)より抜粋。

マーケティングはいつもいわれのない非難(bad rap)を浴びる。テレビドラマで描かれるマーケティングとは、おとなしい消費者に欲しくもない物を欲しいと思い込ませ、できるだけ多くのカネをふんだくろうとする悪だくみでしかない。

人は誰でも買い物をしなければならない。完全な自給自足生活でない限り、生きるには物を買わなければならない。しかしいくら必要でも、見苦しい物(ugly things)は買いたくない。こうして必要と欲望が交わるとき、マーケティングの出番になる。

あらゆる販売には2つの段階がある。まず潜在顧客(potential customer)の目をとらえる。次に実際の顧客になってお金を払ってもらう。マーケティングが役立つのは第1段階だけだ。お客の注意を引くことしかできない。

マーケティングで何かを買うよう強制することはできない。したくないことをさせることはできない。もし何かいらない物(something unnecessary)を買ってしまったら、それは残念ながらマーケティング担当者のせいではない。買うのを決めるのは自分だ。

企業がお金を稼ごうと、マーケティングを通じて互いに競争するのは喜ばしい。マーケティングは自由な社会(free society)、市場競争、消費者主権の象徴である。

2017年3月18日土曜日

怖ろしいのは国内の敵(プライス)

Richard Price on how the “domestic enemies” of liberty have been more powerful and more successful than foreign enemies (1789)
(英哲学者プライス、自由の敵は国外より国内の方が強く抜け目ないことについて)より抜粋。

国には二種類の敵(enemies)がいる。内なる敵と外なる敵。すなわち、国内の敵と国外の敵である。国内の敵のほうが国外の敵よりも危険で、たいてい抜け目がない。

国民は政府の役人に従う義務がある。しかし、それはやみくもな隷従(submission)であってはならない。

権力者はつねにみずからの権力を強めようとする。権力者が大嫌いなのは、権力は国民の信託(trust)によるもので、権力者自身に与えられた権利ではないという考えである。

あらゆる政府は暴政に向かう。国民に政府を警戒し、警告を発し、腐敗が始まればただちに抵抗する心構えがなければ、最善の政府は終わるしかない。だから政府に対する警戒(vigilance)は国民が果たすべき義務である。

国民が政府警戒の義務を放棄し、自分の権利の侵害に目を光らせなくなれば、必ず隷従の危機に瀕する。そして国民のしもべ〔政府〕が主人(masters)となるだろう。

2017年3月17日金曜日

周藤吉之・中嶋敏『五代と宋の興亡』


和平がもたらす繁栄

外交交渉で和平のために妥協すると、強硬派から「弱腰」と批判され、「売国奴」と貶められる場合すらある。だが平和は社会の繁栄にとって、民族のプライドなどよりはるかに望ましい選択肢である。宋の三百余年の歴史はそれを物語る。

北方の契丹は宋との交渉で領土の割譲を要求。宋はこの要求を退け、銀と絹を毎年贈る条件で和平を結ぶ(澶淵の盟)。宋は契丹を臣服させることができず、中華的自尊心を損なったが、大局からみれば利益をもたらしたと本書は評価する(p.125)。

約四十年後、契丹は西夏の宋侵入に乗じ、再び領土割譲を求める。宋は贈る銀絹を増やすことで和平を保つ。弱腰との非難もあったが、西夏との両面作戦がとうてい不可能であったことを思えば、相当に評価すべきであろうと本書は述べる(p.127)。

金の侵入で北宋は滅び(靖康の変)、江南に南宋が再建される。宰相秦檜は金に臣従する形で和平を結び、屈辱的と非難する者を弾圧した。後世、売国奴とも貶められたが、秦檜の死後も和平は維持され、南宋の文化・経済が著しく発展する基盤となる(p.360)。

北宋は北方に強敵を控えて絶えずその重圧に苦しめられたとはいえ、国内はおおむね平和が維持され、首都開封は商業で栄えた。南宋の経済力発展は北宋を超える。首都臨安の繁栄は開封をしのぎ、人口百五十万を超える大都市に成長する(p.444)。

平和繁栄の社会を基盤として開花した宋の文化は、伝統の貴族的文化に対し、新時代を担う官僚と士人層、および商人庶民層の文化だった。東洋史学者の宮崎市定は、その姿を西洋のルネサンスに対比したという(p.445)。

2017年3月16日木曜日

レナード『自由を憎む改革者』


本当は怖い最低賃金

最低賃金は経済弱者を救うと、多くの人は思い込んでいる。もちろんそれは間違いだ。経済の原理上、最低賃金はむしろ技能や経験に乏しい非熟練労働者を市場から排除する。

本書によれば、そもそも米国で20世紀初め、左翼の政治圧力により最低賃金法が導入された際、その目的は、技能・経験に乏しい代わりに低賃金を強みに働く移民や非白人を排除し、白人労働者の賃金を高く保つことだった。排除の背後には当時流行の優生学思想があったという、背筋の凍るような事実も描かれる。以下は第9章より抜粋。(数字は位置ナンバー)

1910年代米国で経済学者たちは最低賃金について論争し、賛否は別として、次の点で意見が一致した。すなわち最低賃金規制が成功すれば、生産性の低い労働者は仕事がなくなる。非熟練労働者は雇うコストが上がると雇われなくなる。(3335)

米国の左翼進歩派知識人の多くは、最低賃金法を支持した。(移民や非白人など)生産性の低い労働者が職を失い、雇われなくなることは承知のうえである。彼ら改革者はそれを犠牲ではなく、社会への利益と考えたのである。(3356)

米国の左翼進歩派知識人は、能力の劣った者が最低賃金で仕事を失っても不都合はないと考えた。それによって他の労働者の賃金が高くなり、米国の賃金水準が守られるし、アングロサクソンの人種統合も保たれるからだ。(3359)

最低賃金は、劣った労働者を見つけ、科学的に取り扱う役目を果たすとされた。英国の社会主義者でフェビアン協会の中心人物であるウェッブ夫妻によれば、文明社会は最低賃金によって「産業上の病人」を労働力から取り除いたという。(3363)

最低賃金による隔離では不十分な場合、能力の劣った人々に避妊手術を強制せよとシカゴ大学の神学者兼社会学者ヘンダーソンは提案した。能力の優れた人々に子供をもっと多く生むよう求めるのは、不公正で非現実的だからという。(3373)

2017年3月15日水曜日

進藤榮一『アメリカ帝国の終焉』


資本主義はアジアで蘇る

資本主義は終焉しつつあると一部の論者は語る。しかしそれは神話にすぎないと著者は言う。欧米主導の資本主義は衰退の危機に瀕しているかもしれないが、「もう一つの資本主義が誕生し、蘇生し、興隆しつづけている」。その舞台はアジアだ。

これまで後発国の発展は、先進国を追い上げるのがせいぜいとされてきた。しかし最近は生産のモジュール化で、一気に追い抜く戦略が可能になった。先端技術を選択的に利用しながら後発技術を全稼働させ、膨大な人口のニーズを満たす。

代表は中国の山寨企業だ。広告や流通にカネをかけず、先端技術は日本企業から部品として入手。特許の縛りを巧みに回避し、庶民に商品を安く早く売り込む。精巧だが値段が高く、巨大な途上国市場に食い込めない日本製品とは対照的だ。

勃興するアジアを牽引する中国の躍進は、中華帝国の再来ととらえがちだ。しかし、それは誤りだと著者は言う。なぜなら中国の興隆は単体としてではなく、アジアの他の国々と相互に連鎖・依存・補完することで可能になっているからだ。

中国で人民解放軍と資源エネルギー産業との軍産複合体が生まれ、南シナ海での膨張主義的行動につながっているのは事実。だが資源開発を日本など周辺諸国とともに進めれば、膨張主義の拡大を防ぐ抑止力になると著者は正しく指摘する。

米政府・中央銀行によるマネー濫造が生んだ「カジノ資本主義」を規制緩和のせいにするなど、俗説をそのまま受け入れた誤りも散見されるものの、「資本主義の終焉でなく、資本主義の蘇生だ」という洞察の鋭さに比べれば瑕瑾にすぎない。

2017年3月14日火曜日

戦争は支配階級を潤す(モリナリ)

Molinari on the elites who benefited from the State of War (1899)
(仏経済学者モリナリ、戦争状態で潤うエリートについて)より抜粋。

国家には支配する階級(governing class)と支配される階級(governed class)がいる。支配階級の関心は、自分たちの雇用を早く大幅に増やすことにある。国家に害悪を及ぼすか、利益をもたらすかにかかわらずである。そしてできるだけ高い報酬を求める。

しかし国の多数を占めるのは支配される階級であり、彼らが政府当局者(officials)の報酬を支払う。支配される階級のただ一つの望みは、必要最小限な人数の政府当局者を養うことである。

戦争状態(State of War)とは、支配される階級の生命と財産に無制限の権力を行使できることを意味する。支配する階級は、政府の雇用を思いのままに増やせるようになる。つまり、自分たちの雇用を増やせる。

政府雇用のかなりの部分を占めるのは、文明国家(civilised State)において破壊行為を担う組織〔=軍隊〕である。この組織は、敵国が力を増すたびごとに成長する。

戦時になると、兵士は報酬が増え、より栄光に包まれ、昇進の望みが高まる。これらの利点(advantages)は、耐え忍ばなければならない危険を補って余りある。戦争状態は支配層全体にも、軍隊を管理・指揮する当局者にも利益をもたらす。

2017年3月13日月曜日

アトキンソン『新・所得倍増論』


政府の関与は有害無益

経済に問題があると、多くの人はすぐ「政府が何とかしろ」と主張する。それも一般人だけでなく、本書の著者のように、経済の専門家にも少なくない。しかしそれは正しくない。政府の関与は問題を改善するのでなく、むしろ悪化させる。

アナリスト出身の著者は、日本は生産性が低いと指摘し、改善には改革が必要だと訴える。ここまでは賛成だ。ところがその先の議論がおかしい。政府は公的年金などを通じ、経営者に株式時価総額向上のプレッシャーをかけろと言うのだ。

著者が政府に圧力を求める背景には、企業経営者に対する不信感がある。生産性を上げる改革には反発が多くて面倒なうえ、実現しても経営者の給料は増えない。だから現状維持を望むのは当然と言う。しかし、これは原因を見誤っている。

経営者が改革に不熱心なのは、政府に保護され、消費者を満足させなくても淘汰される心配がないからだ。その典型は、窓口が午後3時に閉まると著者が憤慨する銀行だ。経営が傾いても政府が救済してくれるなら、必死になる理由はない。

経営者の尻を叩きたいなら、規制や保護をやめ、自由に競争させればよい。政府が株価を上げろと圧力をかければ、企業は安易な金融緩和や既得権益を守る規制強化を求め、政治家・官僚は喜んで応えるだろう。経済活性化どころではない。

なお著者は、京町家を壊してビルやマンションを建てる京都人を批判し、政府はなぜ規制に動かないのかと嘆く。しかし町家はもともと職人・商人の住まいであり、著者が引き合いに出すベネチアの美しい街並みと同様、自由な市場経済によって築かれたものだ。規制を厳しくすれば、社会は文化を生む活力を失うだろう。政府の介入はつねに有害無益である。

2017年3月11日土曜日

自由の戦士が自由を滅ぼす(コンスタン)

Benjamin Constant on the dangers to liberty posed by the military spirit (1815)
(仏作家コンスタン、軍隊の精神が自由にもたらす危険について)より抜粋。

戦時の政治(politics of war)は、社会にある種の人々を大量に生み出す。彼らの考え方は国民全体とは大きく異なる。

市民生活(civil life)の型、司法の組織、あらゆる人の権利の尊重、いかなる形式の政府の下でも侵してはならない平和と秩序ある自由の原理。戦時の政治が生み出す人々の習性は、危ういことに、これら諸原理と対照的である。

古今東西を問わず、軍隊で長期間過ごした人々は、国民全体から切り離される。ほかならぬ自由の戦士(soldiers of freedom)が、自由のために戦ううちに、暴力の行使に敬意の念を抱くようになる。自由という目的のために戦っているにもかかわらずである。

兵士が知らず知らずのうちに感染する道徳、理念、習慣は、彼ら自身が守る大義〔=自由〕を破壊する。戦争の勝利を確実にする政策は、法の崩壊(collapse of the law)を導く。

軍隊の精神(military spirit)は横柄で、迅速で、高慢である。法は穏やかで、しばしば緩やかで、保護をもっぱらとする。軍隊の精神は、考える能力を無規律の始まりとして嫌う。

2017年3月10日金曜日

小川和久『戦争が大嫌いな人のための 正しく学ぶ安保法制』


軍事同盟のモラルハザード

事故のコストを他人がかぶるとわかっていると、人はリスクを避けようとする意識が薄れ、故意や不注意で事故を起こす危険がかえって高まる。この現象をモラルハザード(規律の喪失)と呼ぶ。軍事同盟の信奉者は、この危険に無頓着だ。

著者は集団的自衛をたとえ話で説明する。乱暴な男を撃退するため、商店街のどれか1つの店が因縁をつけられたら、商店街全体への攻撃とみなして反撃すると宣言する。「男は暴れることなく引き上げるしかありませんね」と著者は書く。

しかし現実には、話はそこで終わらないだろう。もし「敵」に商店街全体で反撃してくれるのなら、無謀な争いに手を出しやすくなる。ある店のドラ息子が隣の商店街で狼藉を働いて追われ、守ってもらおうと逃げ帰ってくるかもしれない。

他の店はいい迷惑だが、取り決めなので仕方なく、仕事の手を休めてドラ息子の加勢に出て行く。だがドラ息子は味をしめ、同じ悪さを繰り返す。商売どころではない。自分の店だけを守るほうがましと考え直す店主が増えるかもしれない。

ところで最初の乱暴者は商店街で店主に因縁をつけたり、商品を勝手に持って行ったり、暴れて店の物を壊したりする。現実でこんな国は、世界で戦争を繰り返す米国しか思いつかない。軍事同盟で支えれば、無謀な行動に油を注ぐだろう。

2017年3月9日木曜日

2つのグローバル化

Thorsten Polleit, Economic Globalization Is Not Political Globalization(経済的グローバル化は政治的グローバル化ではない)より抜粋。

グローバル化を諸悪の根源だと拒否する人が増えている。しかしグローバル化をひとまとめに非難するのは大きな問題だ。なぜならグローバル化には経済と政治の2つの側面(two dimensions)があるからだ。

経済的グローバル化とは、国境を越えた分業(division of labor)と同じ意味だ。自由貿易によって生産性を高める。経済的グローバル化なしでは、過去数十年間、世界の貧困がここまで減ることはなかっただろう。

政治的グローバル化は最初から、経済的グローバル化とは何の関係もない。政治的グローバル化の目的は、世界中の人々のあらゆる関係を専制的支配(authoritarian rule)によって管理・決定することにある。

政治的グローバル化の核となる主張によれば、かつてなく複雑になる世界の諸問題に取り組むには、中央による意思決定過程(decision-making process)が必要だという。もちろんその背後にある思想は、まぎれもなく社会主義であり集団主義である。

政治的グローバル化は欧州連合(EU)の基盤でもある。究極の目的は欧州超国家(super state)の創出だ。見通せる将来に関する限り、この夢は終わった。EUは英国の離脱決定で激変しつつあり、崩壊の可能性もある。

2017年3月8日水曜日

布目潮渢・栗原益男『隋唐帝国』


重税国家の末路

重税は民を苦しめ、国を亡ぼす。世界帝国として栄えた唐も、その例外ではなかった。すでに盛唐の時代、詩人・杜甫は「朱門には酒肉臭(くさ)れど、路には凍死の骨あり」(p.240)と社会に忍び寄る影を認めた。その背後には苛酷な税があった。

唐で庶民に課された税は物納と役務があり、物納を役務で代替すると年150日、つまり1年の42%を拘束される「驚くべき強い規制」(p.201)だった。免税の代わりにほぼ同日数の兵役が課される場合もある。負担を嫌い逃亡する農民が相次ぐ。

唐衰亡に大きな影響を及ぼしたのは、塩の専売だ。塩をすべて国で買い上げ、官許の塩商人だけに売る。その際、それまで1斗10文にすぎなかった塩価に10倍の専売税を加え、110文で売り渡した。のちに300文程度に引き上げる(p.322)。

重労働に携わる農民には、塩は生理的に欠かせない。高価格の押しつけは打撃となった。専売の裏で、官憲の目をかすめて闇ルートで塩を流す多くの塩密売商人(私塩の徒)が活躍し始める。国に入る専売収入は、晩唐には半分以下になる(p.431)。

塩を安く売る闇商人は、庶民の人気を集める。そんな商人の一人、黄巣は仲間に呼応し蜂起する。黄巣の乱である。貧農や群盗を吸収し数十万の勢力となり、黄巣は首都長安に入り帝位に就く(p.442)。まもなく唐は約300年の歴史に幕を閉じる。

2017年3月7日火曜日

タバコ規制の愚

Bill Wirtz, Five Reasons to End Government Smoking Bans(タバコ規制をやめるべき5つの理由)より抜粋。

タバコ規制に関する議論はまず、私有財産権(private property rights)に重点を置かなければならない。バーでタバコを吸っていいかどうかを決めるのは、バーの所有者でなければならない。他人がどう生きればいいか知っているつもりの、おせっかいな役人ではない。

米国立がん研究所(National Cancer Institute)によると、受動喫煙とがんの間に有意な関係はない。7万6000人以上の女性を調べたところ、喫煙と肺がんの間には強い関連性があるものの、受動喫煙との間にはなかった。

英国で屋内喫煙(smoking inside)が全面規制された後、2010年の研究では心臓発作の減少はわずか2%にとどまった。これでは規制のおかげとは言えまい。2008年のニュージーランドでの研究では関係性は全然なかった。米国でも同様の結果がある。

規制で喫煙は減らない。2008年にタバコ規制(smoking ban)を導入したフランスのデータによると、タバコの消費量に関係があるのは価格だけである。それどころか規制するとすぐ、タバコの販売量は増えている。

喫煙バーに行けと強制されることはない。音楽、料理、演出などが嫌いで行かないバーやレストランは誰にでもある。自由な社会(free society)がすばらしいのは、そうした好みを変えなくてもよいことだ。だから人にも好きにさせよう。

2017年3月6日月曜日

友野典男『行動経済学』



心理の法則は経済の法則ではない

最近脚光を浴びる行動経済学は、標準的経済学が前提とする、完全に合理的・自制的・利己的な「経済人」は非現実的だと批判する。それは正しい。だがもしそれだけなら、あえて新奇な学問に頼る必要はない。過去の経済学に学べばよい。

著者によれば行動経済学は、人間はすべて物質的私益追求型だという標準的経済学の前提を否定する。現実には利己的・利他的人間が共存し、同じ人間が場合や状況により利己的だったり利他的だったりもするという。それはそのとおりだ。

だがその批判は今の標準的経済学にしか当てはまらない。昔は違った。英経済学者ロビンズは1932年の著書で、経済主体は純粋な利己主義者、利他主義者、禁欲主義者、官能主義者、およびその混合体のどれにもなりうると述べている。

人が目的に向け行動するとき、曲げられない法則がある。それを探るのが経済学である。目的自体や動機は関心外にある。家計のためだろうと慈善のためだろうと、フリーマーケットで商品が売れなければ、値段を下げてみなければならない。

ところが行動経済学の関心は、心や動機にある。これでは心理の法則はわかっても、経済の法則はわからない。行動経済学は心理学の一部にすぎないとの見方を著者は否定するが、説得力はない。標準的経済学への根源的批判は、経済学自身の中にある。

2017年3月5日日曜日

エベリング他編『アメリカ対外戦争の失敗』


「正しい戦争」への異議

建国時の理念に基づき国外での軍事介入を戒めてきた米国は、歴史が下るにつれ、その禁を破っていく。それが決定的になったのは二度の世界大戦である。米政府はそれらを「正しい戦争」だったと主張し、体制派の歴史家を通じ国民にそのように教え込む。本書はそうした公式の歴史観に異議を唱える。

序文でリチャード・エベリングは、歴史における「もし」はあくまで推測にとどまるとしながらも、将来同じ過ちを繰り返さないためには過去の行動に学ぶ必要があるとして、以下のような「もし」を例示する。(数字は位置ナンバー)

もし米国が第一次世界大戦に参戦する確信が英国になかったら、1916年か1917年初めに交戦国は和解できなかっただろうか。そうすれば大戦後のドイツ情勢は現実と大きく異なり、ヒトラーの権力掌握を防げたのではないだろうか。(275)

もしチャーチル英首相が米国の第二次世界大戦参戦にあれほど熱心でなく、ルーズベルト大統領が米国を戦争に仕向けなければ、(米参戦のきっかけとなった真珠湾攻撃の前年の)1940年夏に和解が成立していなかっただろうか。(279)

米国が参戦しなければ、ヒトラーは欧州の中央を一時支配しただろうが、ナチ党は「最終的解決」の当初案どおり、欧州のユダヤ人をマダガスカル島に移送できたかもしれない。野蛮だが、死の収容所の現実よりましではないだろうか。(280)

さらに、もしヒトラーのドイツがスターリンのソ連に対し攻撃に転じていたら、両全体主義大国は消耗し、自滅したのではないだろうか。そして両国の占領地域に住む人々は、いずれ自由になったのではないだろうか。(283)

ルーズベルトが1941年に日本と和解していれば、真珠湾攻撃はなかったのではないだろうか。日本は東アジアで力を増しただろうが、和解で日中戦争が終われば、中国社会は安定し、毛沢東の共産党による征服はなかったのではないか。(286)

2017年3月4日土曜日

川勝義雄『魏晋南北朝』


シルクロードの自生的秩序

道は政府が作るものだと現代人は思い込む。しかし魯迅の小説ではないが、もともと道のない地上に歩く人が多くなれば、それが道となる。つまり道とは本来、道徳や言語と同じく、人々の自由な行為を通じ自然に形成される自生的秩序だ。

自生的秩序としての道の典型例は、有名なシルクロードだ。本書によると、シルクロードは漢帝国崩壊後の六朝の大混乱期も、きわめて活発に利用された。背景には、沿線諸国が東西貿易を中継することで経済的基盤を得ていたことがある(p.75)。

沿線諸国は中継貿易による利潤と通行税を得たほか、国民も通行するキャラバンに物資を売り、生活が豊かになった。貿易路を円滑に働かせることこそ国の維持・繁栄に必須の条件だったので、政治的混乱の中でもルートは途絶えなかった(同)。

シルクロードを巡る「国際緊張」もなかった。北方の遊牧民は沿線のオアシス農業国家に略奪を試みることもあったが、家畜・畜産品と農産物の交換を通じ共存共栄関係にあった。キャラバンを護衛して通行の安全を保障し、保護料を得た(p.76)。

シルクロードによる東西貿易と文化交流は、さまざまな国家の興亡にもかかわらず、大きな障害を受けることなく続いていった。六朝から隋唐にかけ中国文明が華やかなコスモポリタン文明として咲き誇るのも、この貿易路のおかげである。

2017年3月3日金曜日

民主主義は道具にすぎない

Jason Brennan, What Is Democracy Worth?(民主主義の価値とはどのようなものか)より抜粋。

民主主義の価値とは、どのような種類のものだろうか。金づち(hammers)のように、それが役に立つかどうかで評価するべきだろうか。それとも絵画や人間のように、それ自体で評価するべきだろうか。

手続主義(proceduralism)という考えによれば、ある政治体制はそれ自体で正しい(あるいは正しくない)。突き詰めると、民主主義が行うことは、それだけの理由ですべて正しいことになる。これは馬鹿げている。多数決で子供の強姦も許されてしまう。

一方、道具主義(instrumentalism)という考えによれば、(1)少なくともある種の政治問題には、手続きがどうかとは無関係に正しい答えがある(2)ある権力構造や意思決定方法が正しいかどうかは、正しい答えを選ぶ傾向があるかどうかで決まる。

民主主義は金づちのようなものでしかない。目的のための手段(means)であり、目的そのものではない。それ自体が正しいわけではない。純粋に道具としての価値しかない。もし他にもっと良い金づちがあれば、そちらを使わなければならない。

(民主主義の代わりになる)「より良い金づち」(better hammer)がどのようなものかは、ちゃんと知ることができる。そろそろ新たな政治体制を試し、より良いものを見つけなければならない。

2017年3月2日木曜日

宇佐美寛・池田久美子『対話の害』

著者 : 宇佐美寛
さくら社
発売日 : 2015-07-07

人気教授の化けの皮

NHKのテレビ放送で評判となったマイケル・サンデルの「ハーバード白熱授業」。番組サイトは「ソクラテス方式(講義ではなく、教員と学生との闊達な対話で進められる授業形式)の教育の最高の実例」とほめそやす。本当だろうか。

「白熱授業」を厳しく批判する本書は、そもそも対話とは「哲学的思考の方法としては、かなり劣った第二級の方法」(p.18)と指摘する。哲学的思考はゆっくり静かに考えることが必要だ。対話では、自分一人で静かに長時間思考する自由がない。

サンデルの授業の特徴は4点あるという。(1)口頭でのやりとりに限定(2)学生には質問させない(3)学生に考える時間を与えない(4)何を考え、何を考えないかの制約条件を一方的に決める――。これは尋問だと本書は断じる(p.55)。

サンデルは正義を考える授業で「路面電車のジレンマ」を話し、5人を殺すか、1人を殺して5人を助けるか二者択一を迫る。学生に質問させず、与えられた条件の中だけで考えさせる。具体状況が不明では、行為の正しさは判断できない。

あきれたことにサンデルは、路面電車の話について自分の選択を問われると、電車がひき殺そうとする人々は誰なのかと、与えられた以外の条件を知ろうとする(p.52)。これでは学生に問う資格はない。人気教授の化けの皮がはがれた瞬間である。

ハーバードの権威に目がくらみ、にぎやかなだけで底の浅い白熱教室をありがたがる日本人は、ぜひ本書を読み、思考とは何か、一人静かに考えてみるとよい。

2017年3月1日水曜日

民主主義信仰の終焉

Jeff Deist, Democracy, the God That's Failing(民主主義――衰えゆく神)より抜粋。

投票の「神聖な」権利について熱く語っていたヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)はトランプに敗れたとたん、ロシア陰謀論に固執する。もし国民がフェイスブックに流れる馬鹿げたポストにたやすく騙されるのなら、なぜ投票が神聖などと言えるのか。

ブレア英元首相(Tony Blair)は、EU離脱派は「不完全な知識」しかなかったから国民投票結果を破棄せよという。だが選挙前の有権者はいつも、候補者や政策に不完全な知識しかない。自分がかつて下院議員に当選した選挙をまず破棄させてはどうか。

民主主義とはまがい物(sham)であり、自由を愛するすべての人はこれに反対すべきである。投票や選挙によって政府が正当化されることはない。民主的な政治過程があからさまな戦争に置き換わる分だけ、わずかにおぞましさが和らぐにすぎない。

民主主義の幻想(democracy illusion)が永遠に砕け散るときは近い。歴史上つねに悪しき考えとされてきた民主主義が煽るのは、思慮のない多数決主義、政治的な迎合、盗み、再配分、戦争、有権者のたかり根性。それは時代とともに国内外で悪化の一方である。

未来の自由な社会では脱中央集権化が進み、小規模な離脱国家や地域が中心になるだろう。そこでは真の自己決定(self-determination)や住民の総意が、幻想ではなくなるはずだ。